昨日おとといと、2日連続で病院を受診したのだが、今日は「先週頼んだ診断書ができたから、取りに来て」ってことで、3日連続の病院です。
もちろん、片道3㎞ぐらいなら歩きますが、何か?
んで、警察に提出する診断書をゲットして、ついでなので、春採湖周辺をぶらぶらと。
カリフラワーのお化けみたいな植物を見て、「うわっ、これは最近北大で見られた猛毒のあれじゃないか?」と思われた方もいらっしゃると思いますが、安心してください。ニセモノです。
春採湖周辺は、大型書店「コーチャンフォー」もあって、ぶらぶらと歩いて、立ち読みするにはいいルートだな。
今日の午前中も、無駄に10㎞ぐらい歩いておりました。
さて、交通事故に遭ってから、運転することもできず、「これは不便な生活になるんじゃないか」と思ったが、意外と快適である。
まあ、これは私がフルマラソン走れるぐらいの体力があるってことも一因かもしれないが、オーディオブック聞きながらテクテク歩いていると、脳が活性化する感じがするのだよな。
重いものが持てないから、買い物も不便かなと危惧していて、確かに退院直後はコンビニばっかりの食生活を送っていたのだが、「左手だけで持てる荷物だったら、意外と大丈夫だな」と、1㎞弱離れたスーパーで、米は1㎏のものにするなど荷物を減らすようにして、ちまちまと歩いて買い物しています。
こうして「歩く生活」を2週間も続けていると、疑問に思うことがあります。
「あれ?俺、本当に車必要なの?」
と。
「北海道でも、公共交通機関の発達していない札幌以外のところでは車必須」と思っていた私であるが、「意外となくても行けるんじゃね?」と、気づいてしまった最近の私です。
で、前から興味を持っていた本があったのですが、すでに絶版ということで、Amazonの古本でゲットしました。
「クルマを捨てて歩く」なんて、電車が2~3分おきにやってくる東京のような大都市に住んでいるからできるんだよ。
きっと、この本の筆者は地方のことなんてわかってないんだろうなと思うかもしれないが、驚くなかれ、この方は釧路と同じぐらいの規模の帯広で「クルマなし生活」を送っているのだ。
この本が書かれたのは2001年であるが、公共バスが「一時間に一本ワールド」というのは、私の今住んでいる釧路と同じ状況である。
帯広で、子供が3人いる家族持ちで、「クルマなし生活」ができるんだから、独身で体力のある私なら余裕だろうと思ってしまうのであった。
読んでみると、「お前はクルマで親を殺されたか?」と思うぐらい、クルマに対する悪口のオンパレードで、読む人をかなり選ぶ本のような気がする。
まあ、これなら絶版になってもしょうがないかなと。
ただ、クルマに轢かれて、かなりクルマに対して恐怖心を持っている今の私には、妙に突き刺さる内容だったのよね。
今は確かに、この本が書かれたときに比べて、更に公共交通機関は不便になってきてるし、特に地方では、徒歩圏で買い物できる店が潰れたりと、「クルマなし」には不利な世の中になっている。
しかし一方、「ネット通販の充実」、「カーシェアの拡大」と、特に独身なら、無理にクルマを持たなくても生活できるのでは?という環境が整備されつつあるのも事実である。
実際、今の私も「年間5000㎞以下」しかクルマに乗らんしなあ。
つーか、私は教習所卒業するのに半年かかったぐらいの「運転下手」は自覚しているので、あんまり積極的に運転したいって気にならないのよね。
生活に必要だから運転する程度のもので。
うーむ、今回の事故を通じて、「今まで生活に絶対必要だ!」って思っていたものが、「実はいらない」ってことに気づいてしまったかも?
「ルナサンダル」で歩くことは、娯楽であり、快楽ですらあります。
ルナサンダルは、走ってよし、歩いてもまたよしの、不思議な履物です。
さようなら。