水曜日。
いつものように早朝、トレッドミルを走っていた。
「あー、ちょっと靴紐キツく締めすぎたなあ。左足の甲が痛むなあ」とは思っていたが、トレッドミル止めるのも面倒だし、そのまま小一時間走っておりました。
一晩明けて、木曜日。
いてー、いてーよー、左足の甲がいてーよー。
ちょ、これ歩くのも辛いレベルじゃん。
《教訓》
違和感があったらすぐに走るのをやめましょう。
靴紐結び直すなんて、1分もあればできる作業じゃないか!
うーむ、この日は週一回のスピード練習「閾値走」を予定していたのだが、これはちょっと難しいかなあ。
しかも、この日の釧路はアホみたいに風が強く、とても外を走るコンディションではない。
うん、今日はやめ、やめやめ。
「思い切ってランオフにしよう」と、私の内なる悪魔がささやいていたのだが。
調べてみると、巨大体育館「湿原の風アリーナ」のランニングコース(一周240m)が一般開放されているではないか。
夕方になって、痛みも引いてきたことだし、一応行くだけ行ってみようと、アリーナへ車を走らせたのであった。
アリーナには巨大クリスマスツリーが飾られていました。
子供のころはワクワクしていたクリスマスも、子供のいない独り身だと、本当にどうでもいい行事になりますな。
あのころの純粋な心は二度と戻らないのであろうか。
使用シューズは室内用のNIKEズームフライ3です。
私はズームフライが好きすぎるので、外用と屋内用の二足持っております。
屋内用の出番はほとんどないわけだが。
で、シューズに左足を入れた瞬間。
いてー、左足の甲がいてー、こんなの走れん!
となってしまい、仕方がないので靴紐をゆるゆるにして、少しでも締め付けを弱くする作戦に出たのでありました。
ちょっとかかとがカポカポするが、痛いよりは100000倍マシというものだ。
さて、ランニングコースに入って走り出しましょう。
コースは高校か大学のクラブが集団で練習しているだけで、個人利用の人は誰もいませんでしたね。
まずは3kmアップして、今日の方針を決めましょう。
初志貫徹で「5km閾値走」にするか、「キロ4分半の8kmペース走」にするか、そのときの足の様子を見て判断しようかと。
「痛いけど走れないレベルではないなあ」と思いながら3kmになりましたので、こっからダダンとスピードを上げましょう。
最初の1kmのラップが「4分16秒」。
ほんのちょっと閾値走ペースより遅いが、どうせ痛みが続くなら短い距離の方がいいだろうと、ここで「5km閾値走」を選択。
ただ、前2週よりも明らかにペースは遅いですね。
痛めている小指側の左甲をかばっているうちに、拇指球着地になっていて、知らず知らずのうちにブレーキがかかった走りになっていたようです。
以下の本にも書かれていますが「基本、小指がアクセル、親指がブレーキ」と考えて、着地をするときは「小指球側からの接地」がランニングのセオリーです。
3km過ぎから接地の意識を変えると、ちょっとスピードが戻ってきました。
左側の方は、変な着地になった影響か、甲だけではなく拇指球の辺りにも痛みを感じてきました。
左足の痛みに心がすっかり奪われていたので、心肺の方は苦しいかどうかもわからんレベルでした。
どうにか5km走り切りました。
タイムは「21分12秒」で、1キロ平均「4分14秒」と、かろうじて「閾値走ペース4分15秒」は帳尻で守ったという感じです。
ラップは手動で取りましたが、ガーミン945Jの「屋内トラックモード」はそんなに誤差はないですね。
少なくとも「トレッドミルモード」のような「1kmにつき100m200mの誤差は当たり前」ってことはなかったです。
心拍数はこんな感じ。
屋内で気温が高いこともあったのか、今までに比べ気持ち高めと言ったところです。
まあ、何はともあれ、今週も閾値走をこなすことができよかったです。
「単なる数字合わせの、練習のための練習」になるのは意味がないと思いますが、それでもこういう練習を積み重ねられると、それが自信につながってきますね。
今はこのペースの5kmでもキツく感じますが、いずれは10km、20km、30km…、そして42.195kmをキロ4分15秒ペース、すなわち「サブスリーペース」で駆け抜けたいものです。
1kmインターバルで「キロ4分20秒」かかっていたころは、サブスリーの世界など想像もつきませんでしたが、ちょっとずつでも進歩が見られると、ぐっと「遠くの夢」が「具体的な目標」に落とし込めるようになってきますね。
それでも、大学入試に例えれば「E判定」が「D判定」に上がったレベルぐらいだと思うが、まずは一段づつ階段を上っていく過程が大事なのである。
知らんけど。
ちなみに左足の甲は、骨には異常がなさそうで、今日になって痛みも軽減してきました。
走りながら治るレベルのものでしょう。
あまり自分を過信しすぎるのはよろしくないが、もう10年ぐらいも走っていると「やばい故障とそうでない故障」が感覚でわかってくるものである。
これからも無理しすぎない程度に無理しよう。
というか「宇宙開発をする町工場の社長」植松努さんを見習い「どうせ無理」という心のブレーキを外して突き進んでいこうではないか。
さようなら。