ゴシラン

走ることについて語ります

弁天ヶ浜

本日も3時50分起床で、コーヒー一杯飲んで4時15分にGo。

最初は力が出ないなあと感じた「朝食抜きラン」も、だんだん「こんなものか」と慣れてきますね。

 

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まずはえっちらおっちら幣舞橋へと。

今日はどんよりとした釧路らしいすっきりしない朝。

 

いつもならこっから釧路川の河川敷を走るのであるが、たまには違ったところを走ろうと、南大通へ。

昔は「北大通」「南大通」が釧路の中心だったようですが、今や見る影もないですなあ。

5年前、釧路で部屋を探そうと不動産屋に行ったとき「南大通はやめとけ」と言われたぐらい、市街地からは近いくせに、スーパーも何もない不便なところであります。

 

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「港文館」というところにある石川啄木の像。

啄木は昔、南大通に住んでいたのね。

啄木と言えば、中学の教科書の「われ泣き濡れて 蟹とたわむる」って句を見て、「寂しいやつだったんだなあ」という感想を持っていたが、実生活は、非常に女にだらしないうらやましいリア充生活を送っていたのだった。

昔の文人は刹那的な生き方をした人が多かったのね。

 

南大通に入ってから、海が近くなったからか霧はますます濃くなっていき、これぞ釧路って感じの絶好調の白い空気であった。

釧路に来たころは、霧が出るたびにげんなりした気持ちになったものだが、慣れるとこの白い空気がいとおしい。

 

南大通→米町公園と過ぎ、神社寺院が並ぶ通りとなる。

霧模様の空だと、早朝という時間もあるのだろうが、こういうところがますます神々しく感じるのであった。

 

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「弁天ヶ浜」

今は「たくぼく循環線」という循環路線の中のバス停のひとつであるが、かつてはここがバスの終点であった。

私はローカルバス路線の終点をこよなく愛する男なのである。

これについては幼少時代のルーツがあるのだが、語ると長くなるので今日はやめとく。

 

霧の中のバス終点は味わいがある。

市街地から3kmぐらいしか離れていないのに、「行くとこまで行っちまったなあ〜」と最果て感を味わえるのだから、釧路という街は奥が深い。

 

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このままバスに乗って帰りたい気持ちもあったが、祝日の今日は始発まで3時間以上あるので、今日のところはやめとく。

 

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本来なら、こっから鉛色の太平洋の海が見えるのであるが、霧のため何も見えず。

しかし、それがよい。

 

さようなら、弁天ヶ浜。

私はこの南大通から米町の味わいが好きなので、そのうちまた走りに来る。

 

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んで、またフィッシャーマンズワーフMOOに戻り、テクテクと帰路につきます。

 

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ここはよく来るので「カニ炉端」なるものの存在がずっと気になっているのであるが、正体は未だわからない。

まだまだ私の知らない釧路はたくさんある。

 

せっかく遠くに行くことができないわけだから、これを機会に身近な知らない釧路を発見する「街ラン」もいいのではないかと思う連休中日。

思うように遠出ができなくてイライラされている方も多いと思いますが、今まで見向きもしなかった身近なものに「おおっ」と新たなものを見いだせるかもしれませんよ。

 

さようなら。