先月のロードバイク転落事故によって、何だかんだで精神的に浮き沈みの激しい私です。
ブログは意識的に淡々と書くようにしているのだが、文章には書けないような色々なネガティブな思考が頭の中をぐるぐる回っているわけで。
私がそんなメンタル的な不調のときに、薬代わりに使うのが「ひろさちや」氏の本です。
ひろさんの本は、どの本も同じようなことが書いてあるので、どれか一冊読めばいいでしょう。
私は「人が当たり前にできることができない」ことを、かなり気にしていて、自分が「狂っている」のではないかと思っていたが、「いや狂っているのは世の中で、お前ではない」という趣旨のこの本が、かなり救いになった記憶があります。
今だから言えるが、「世の中の狂い」に比べれば、「個人の狂い」など、誤差の範囲ではないかと(ただし、凶悪犯とかの狂いは除く)。
そんなひろさんの本に必ずと言って出てくるのが、サマセット・モーム氏の著書「人間の絆」についてです。
「人は、生まれ、苦しみ、そして死ぬ」
「人生の意味など、そんなものは、なにもない」
という小説の中のフレーズを使って、「人生に生きがいなどというものはなく、自由である」ということを主張しているのだが、一度、モームの原著にあたりたいなあとは、ずっと思っていたのだよな。
ただ、「人間の絆」、どうも私の国語力がないのか、翻訳が合わないのか読むのがかったるく感じて、ちょっと開いては挫折するという日々を繰り返していました。
そんな中で、最近出版された翻訳本がこれ。
なんと、タイトルまでが変わっています。
これは、某N氏の翻訳よりも、ずば抜けて読みやすかったですね。
無我夢中で1週間ぐらいかけて、読みふけりました。
なるほど、「人生は無意味」という、あの有名なフレーズは、主人公の悲惨な境遇の中から出てきたのか。
ちょっと大げさかもしれんが、1ヶ月前、一歩間違えればこの世にいなかったかもしれない今の自分からすると、妙に腑に落ちるものがあったぜよ。
あのまま死んでいたら、私の人生は無意味そのものだっただろうし、かと言って、今、一所懸命に生きて「意味ある人生を作ろう」という気はさらさらない。
今、生かされているのは「ボーナスタイム」と考え、今まで以上に好きに生きていこうと心に決めたのであった。
「人生は無意味で自由」なのである。
ちなみに、タイトルが「人間の絆」から「人間のしがらみ」に変わったのは、訳者の河合氏曰く、「絆」には、2011年の大震災のころに流行した「つながり」の他にも、「束縛」という意味があるとのこと。
小説を読めばわかるが、本作で使われている「絆」は「束縛」の意味で使われていると解釈するのが妥当であろう。
人間というものは「こうしたい」と思っても、「しがらみ」により、なかなか理想通りの未来は作れないもの。
だったら、そんな「未来への理想」は捨てて、現実を味わいつくそうではないか。
他の人たちが言う「理想」を追わず、自分の目の前にある「現実」を楽しもう。
人生は意味がなく、自由なのだから、自分の心に正直に生きていこう。
尚、モームの著書は「月と六ペンス」もおすすめです。
さようなら。