前回紹介した本「超一流になるのは才能か努力か?」についての続きです。
この本の最後の方に「サバン症候群」という言葉が出てきます。
かいつまんで言えば「ある特定のことに関する能力はものすごいが、その他の面においては精神的に何らかの障害を抱えている」、そんな症状を持つ人々です。
「○月×日の曜日をすぐ当てられる」「膨大な書籍を一度読んだだけで暗記できる」「一度聞いただけの曲を最後まで間違えなく弾ける」など、テレビ番組「びっくり人間大集合」に出てくるような限られた能力です。
この「サバン症候群」に関する説明を読んで、私の幼少時代を思い出しましたね。
私の幼少時代は、ある特定の分野に関する記憶力が凄まじく、そんでもって人間関係の構築が壊滅的に下手くそな「自閉症」に近い子どもでした。
その中で、私が今でもドン引きするぐらいの記憶力を発揮したのが
「漫画ドラえもんの目次を完全に暗記していた」
ということです。
幼稚園のころに買ってもらった一冊のドラえもんの単行本(確か5巻だった。なぜ1巻じゃなくて最初が5巻だったのかは謎)。
当時は友達がいなくて、寂しかったのだろう。
「ああ、ドラえもんみたいなロボットが僕のところにもいればなあ」
「もっとのび太くんみたいなダメ人間になれば、ドラえもんが来てくれるのかなあ」
などと妄想しながら、一心不乱にドラえもんを読みふけり、気がつけば全巻揃っている状態になりました。
読みまくったドラえもんは、カバーはなくし、表紙はボロボロになり、中身もめちゃくちゃ汚く、古本屋に売ろうとしても断られるぐらいの状態になりました。
果たして何回同じ本を読み直したのか、自分でもよくわかりません。
ある日、家族に聞かれました。
「ドラえもんのこのエピソードは何巻の何ページにあるの?」
「○巻の××ページ!」
即答でした。
その後も、「ドラえもんの目次当てクイズ」に100%の確率で正解する私。
親戚の集まりで、この「無駄な能力」を披露し、びっくりした大人の表情を見てドヤ顔をしていたものでした。
この「類まれな記憶力」を利用して、大学受験までは順風満帆な人生を送ることができた私でありましたが、先にも書いたように「対人関係構築能力」がゼロのため、社会人になってからは見事に破綻してしまい、ここまで6回の転職を積み重ねている私です。
今はあんまり人間関係に気を使わんくてすむ仕事してるんで、なんとかなると思うけど、20代〜40代前半までは「社会の中での生きにくさ」を常に感じていた私です。
当時の「ドラえもん」ほどではありませんが、今は「走ること」に対して、偏執的なこだわりを持っているのでしょう。
子供の頃ドラえもんを読みまくっていた勢いで、現在はみやすのんき先生の著作を中心とするマラソン本を読みまくっている私です。
(みやす先生に関しては、少なくとも全書籍10回は繰り返して読んでいると思う。さすがに何ページに何が書いているかまでは記憶していないが、内容はほぼ全て頭に入っているのではないでしょうか)
何かに突出することは、それ以上の犠牲が伴うもの。
「非常識マラソンメソッド」の岩本能史さんの著書に書かれていましたが、「走ることにのめり込むとラン友以外の友達がいなくなる」と。
あまり走ることに真剣でなかった当時は「まさか、そこまではハマらないだろう」と思っていましたが、気がつけばラン友以外の友達はほぼ皆無という状態になっています。
ちなみにアンダース・エリクソンの本の中で、「サバン症候群の人たちは何も努力しないで、その特殊能力を身につけたわけではなく、例えばカレンダー計算の達人は、常日頃日付のことを考え、独り言で日付をつぶやくぐらいの努力をしていた」ということである。
まあ、ここまで偏執的になると、それを「努力」を呼んでいいのかどうかわからんがな。
どうやら、私は「サバン症候群」の人々のように、「何かひとつのことに打ち込む性質」を神様によって備え付けられたのでしょう。
これが人生において幸せなことなのかどうかはわかりませんが、せっかくこういう能力を授けられたのですから、もう少し「マラソンバカ」として生きていきたいと思います。
さようなら。