ゴシラン

走ることについて語ります

4ヶ月ぶりの20㎞走

フルマラソンの練習方法には色々ありますが、大体どの教本にも書かれているのが

 

週に2回のポイント練習

 

で、その2回の内容は

・1回が距離短めのスピード練習

・1回がペースそこそこで距離長めのロング走

 

という形になっています。

 

去年までの私は「ウルトラマラソン対策」を口実に、好きな「ペース遅めの超ロング走」ばっかり狂ったようにやっていたのですが、今年はウルトラには参加しないし、まずはベースとなる走力を再構築していこうかなと。

来年以降何を中心にやっていくかは、現時点ではさっぱりわからないが、ウルトラをやるにしろ、トレイルをやるにしろ、仮装ランに専念するにしろ、フルマラソンハーフマラソンの基礎的スピードを上げるのにこしたことはないだろう。

 

ということで、今週の水曜は5ヶ月ぶりに「スピード練習」をいたしました。

 

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久々のスピード練習でしたが、その後、体調が悪くなることもなく、すこぶる順調です。

ということで、今日はポイント練習の柱2本目、「ロング走」をやっていきましょう。

距離は4ヶ月ぶりに20㎞行っちゃいましょう。

 

 

運動公園のランニングコースをぐるぐると。

このコース、段差になっていてつまづきそうになるトラップが2つ存在するのですよね。

普段はそのトラップ部分は慎重に走るのですが、今日は雪が溶けて久々ということで、トラップのことをすっかり忘れていたのだよ。

500mも走らんうちに、「ずでーん」といっちゃいましたね。

くー、痛いの痛いの飛んでけー!

 

転んだ時点で「縁起が悪い。今日はもうやめようか」とも思ったが、せっかく車を走らせて運動公園に来て、何もせず帰るのはもったいない。

肘や腰を擦りむいたようだが、まあ走れるだろうと、何事もなかったようにずんどこ走り出します。

割合転んだ直後というのは、気持ちが張っていることもあり痛みを感じない。

 

 

久々のロングということで、キロ5分40秒の「サブフォーペース」で走れればいいかなあと思っていましたが、15㎞過ぎても余裕があったので、最後はキロ4分台にビルドアップ。

なんだかんだで、半年前に100㎞走っていることもあり、スタミナはそんなに落ちていないですね。

スピード面を鍛えて、9月の網走で「サブ3.5復活」を達成していきたいと思います。

やっぱキロ4分台に上げると、まだ「しんどい」と感じる。

 

4ヶ月前に20㎞走ったときは、その後具合が悪くなってしまいましたが、今日はさほどダメージもないので、午後はクロスバイクでサイクリング。

 

 

ラソンクラブの練習会のランニングコースである「岩保木水門」までくるくると。

ここまでは超絶追い風で、「絶対これ帰りキツいだろ」と絶望状態に陥ったが、正に帰りはどんぴしゃりの向かい風で、ただの苦行であった。

しかし、この苦行がよい。

私はただのマゾなのか?

 

 

サイクリング後のビッグサンダーは、大変おいしゅうございました。

たったの60円ぐらいで、幸せの絶頂を感じられる私という男は、本当に安上がりな存在である。

 

ということで、今日は「2部練」という形になってしまいましたが、体調に変化はなく、順調に復活しているのかなと。

とりあえず、今月中は「週真ん中の5㎞程度のスピード練習」と「週末の20~25㎞のロング走」をポイント練習の両輪にして、失われた走力を徐々に戻していきたいと思います。

 

尚、ランで転倒したところは、今になってズキズキ痛み出すというよくあるパターンだね。

まあ、安静にしていれば、すぐに治るレベルだと思うが。

明日は雨も降りそうだし、ジムでおとなしく過ごそうかな。

 

さようなら。

patoさんが教えてくれたこと

私が「狂気のライター」patoさんの存在を知ったのは、以下の記事がきっかけである。

 

travel.spot-app.jp

 

「ローカル線」と、ウルトラマラソン等の「身体を張ったアホみたいに長い距離の移動」が大好きな私は、この長~い文章を一気に読んで以来、すっかりpatoさんのファンになってしまった。

特に予想の斜め上を行くストーリー展開と文体が素晴らしく、ネット上でpatoさんの記事が公開されるのを心待ちにしていたものよ。

 

しかし、飽きっぽい私は、最近patoさんの記事がネットで公開されても、「うーん、長くて読むに時間かかるし、別にいいか」と、すっかり「patoワールド」からご無沙汰していた。

そんな私を再び「patoワールド」にいざなってくれたのが、拙ブログの読者でもあるちょびさん(ちょび (id:chobi_chobi))の存在である。

 

chobi-chobi.hatenablog.com

 

 

一応私はブログは書いているが、特に「バスりたい」とかそういう願望はなく、「わかる人だけわかればいいや」という気分で、テキトーに記事を書き散らかしている。

よって、文章術について書かれているこの本を、「どうせ俺には関係ないし」とスルーしていた。

でも、私と嗜好が似ている(と、勝手に思っている)ちょびさんが激押しの一冊だしなあ。

きっと何か私の琴線に触れるものがあるのではないかと、kindleでポチリしてしまいました。

本屋で買う紙の本ではなくて、家でも手に入る電子書籍というところに、「そこまで本気で読みたい本ではなかった」ということを分かってくれるとうれしい。

 

さて、一気読みした感想。

 

やはりpatoワールドはよい!

 

…で、終わりってのも何なので、何がよかったのかということも書いていきましょう。

 

 

「人はなぜ文章を書くのか?」

 

こんなことは今まで考えたこともなかった。

ただ、おぼろげに思っていることは「ネット上の神」として降臨して「俺様の意見にひれ伏せ!」という気持ちはサラサラなく、「口下手な私が、一個人のマイノリティな考えを伝えて、それが同じマイノリティの誰かの琴線に触れればうれしいかな」程度の気持ちである。

 

では、ここで改めて考えよう。

 

「私は自分の考えを伝える努力はしたか?」

 

答えはもちろん「No」である。

伝える努力もせずに、テキトーに書き散らかした文章は、当然「伝わらない」わけで、「誰かの琴線に触れる」などということはありえないだろう。

まずは「伝える」という作業が大事なのである。

 

あんまり書くとネタバレになるので、さわりだけサラッと書くと、「伝える」ためにpatoさんが大事だと思っていることが「客観化」。

この視点が欠けていると「内輪ウケ」に走った文章になってしまうと。

 

確かにそうだなあ。

ランナーブログでよくあるんだが、「〇〇さんや××さんの応援のおかげでうんたらかんたら」とか書かれていると、ひねくれた私は

 

その情報いる?

 

と、思ってしまうのである。

てゆうか、〇〇さんや××さんって誰よ?」と。

そういう一般には知らない人を出して、読む人に疎外感を与えるのはよくないなあと、自戒もこめて思うわけであります。

伝える努力をするなら、〇〇さんがどういう人物かということを、一言添える必要があるのではないかと。

 

さて、「客観化」することによって、誰にでも理解できる「伝わりやすい」文章を書くことができました。

しかし、客観化も度が過ぎると、新聞記事や学生実験レポートのような「事実だけ」が書かれた、「心の伝わらない」文章になってしまう。

 

そこで登場するのが、本のタイトルにもある

 

感情

 

だ。

 

私なりの解釈で言い換えると、「自分の心の中に沸き立つマグマ」だ。

このふつふつと沸き立っているアツアツの「マグマ」を、きちんと「気づきや観察」という「客観化」のフィルターを通して冷やして、一般の人に伝わるレベルの熱量にしていくのが、文章を書く人の「腕の見せ所」といってもいいだろう。

 

言い換えると

 

「熱すぎても、冷めすぎても、文章は他人に伝わらない」

 

ということだ。

 

 

文章術というと、「誰かの本を読んで、外から身につけるもの」と考えている人もいるかもしれないが、そんな「借り物の文体」で「マグマ」のないものは、人には伝わらない。

いや、文意は人に伝わるかもしれないが、その文章の持つ「情熱」、並びにその文章を書いた人の「人柄」は伝わらない。

技巧だけの文章は、人の心を動かさないのである。

 

まずは「伝えたい」という「自分の中のマグマ」を大事にし、「じゃあ、どうすれば伝わる文章が書けるのか」ということを、頭を振り絞って考え、そっから「客観化」で、あーでもないこーでもないと、もがきながら修正し、それを何度も繰り返すしか、文章が上達する道はない。

「伝わる」文章を書くというのは、実は子供を産むように苦しい作業なのである。

産んだことないから知らんけど。

 

「バズりたい」という気持ちだけでは、「バズる」文章は書けない。

まずは外部の評価よりも、自分が「伝えたい」と思う対象を見つけていこう

そして、一回「伝えたい」と思ったら、あとは伝わるためにどうすればいいのか。

好きな子にラブレターを書くような気持ちで、「どうすれば俺の愛が伝わるんだ?」と、相手の気持ちになって、アホみたいに考え工夫しながら文章を書いていこうではないか。

「伝わる」文章を書くには、「ストーカーにならない程度の熱量」が必要なのである。

(ストーカーは単なる自己愛であり、「読み手の気持ちを考えない文章書き」と同じである)

 

うむ、いつもは30分程度でテキトーに一記事を書くこのブログであるが、久々に「どうすれば伝わるんだ」と考えながら、2時間以上かけて文章を書いてしまった。

この気持ちが、誰かに「伝わる」ということを願ってやまない現在の私です。

 

そして、こうした気持ちを思い出させてくれたちょびさんとpatoさんには、心より感謝申し上げます。

 

さようなら。

 

 

5ヶ月ぶりのスピード練習

去年の今頃は、陸上競技場まで行って「トラックスピード練」をしていた「意識高い系ランナー」の私であった。

しかし、故障や入院によりスピード系の練習はさっぱりやらなくなり、走力がガタ落ちになったなあと思う今日この頃。

 

とは言え、先月から体調もよくなってきて、「そろそろスピード練習も行けるかなあ」と、現在地を知るために5㎞だけスピードを上げて走ってみました。

 

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過去の記録を調べると、5ヶ月もスピード練習をしていなかったのか。

サボり過ぎだ。

と言うか、5ヶ月前の段階で「半年ぶりのスピード練習」って書いてるわけだから、正味1年近くサボってきたわけなのね。

 

そんなわけで、目標ペースは設定しても無駄だなあと思い、数字は無視して全力の9割ぐらいの力感で走ることを心がけました。

 

 

半月前は雪や氷に閉ざされていた「マイスピ練コース」も、完璧に走れるようになっていましたね。

照明がついているので、夜でも安心して走れるところがよい。

 

 

1周240mのコースをぐるぐる回ります。

ちょっと周回距離が短くてせわしないが、贅沢は言ってられん。

競技場に行く手間を考えると、家から気軽に行けるこのコースは、私にとって非常に価値があるコースなのだ。

 

 

シューズは「ASICS ライトレーサー4」。

7月までは「厚底カーボンプレートシューズに頼らない、地脚の養成」をテーマに、薄底シューズで鍛えていくことにします。

安くて耐久性のあるライトレーサーは正義。

 

結果はこんな感じでした。

 

 

スピードを上げた5㎞の平均ペースは「キロ4分35秒」。

去年の3月に、3時間一桁(キロ4分24秒)でフルマラソンを走っていたことから考えると、ガッツリ走力が落ちたなあと考えることもできるし、上に挙げた5ヶ月前の記録を見ると、「あれ、入院前よりもそこまで落ちてないんじゃないか」と考えることもできる。

まあ、さっきも書いたように、今日の目的は「現在地を知る」ということなので、これはこれでいいでしょう。

過去を振り返ってガッカリするのではなく、これからどう伸ばしていくかということを考えていきましょう。

その方が脳みそも楽しいだろうしな。

 

でもって今日感じたことは、「スピードを上げてゼーハーするのも楽しいな」ってこと。

私は今まで「スピード練習嫌い」と思っていたのだが、冷静に考えると、ゼーハーすること自体が嫌いなのではなく、「設定タイムをクリアできないから嫌い」と、できない自分にガッカリするから嫌いだったんだろう。

今日みたいに目標ペースを設定しないで、ガーミンを一切見ずに走ると、全くストレスを感じることなく走ることができるんで、当分は「数字を気にせず、90%ぐらいの力感で走る」という方針の方がメンタル的にもいいだろう。

 

まあ、予想通り走力が落ちていることはわかったが、そこまで悲観することではない。

「継続は力なり」の精神で、「週に1回5㎞だけ頑張る」という習慣は続けていきたいと思います。

 

今年はさすがにフルマラソンの記録更新は無理だと思うが、フルに対してショボすぎるハーフのPBを10月末の帯広で出そうかなあなどと、もくろんでおります。
(さすがにフルPB3時間5分に対して、ハーフPB1時間38分はショボすぎる。せめて1時間半は切りたいところ)

 

さようなら。

プール付きジム通い始めます

「4月になると新しいことを始めたくなる病」にかかってしまいました。

1月や4月は、なぜか「やったろう!」って気持ちになっちゃうのですよね。

で、2月や5月になって、やる気になった自分に対して死ぬほど後悔すると。

 

私の通勤ランコース沿いに、プール付きのジムがあり、釧路に来たばかりのころ

 

「よし、ランもロードバイクもやってることだし、今度はトライアスロンに挑戦だ!」

 

と、鼻息荒く通い始めたのはいいが、スイムに挫折してしまい、退会した過去を持っています。

 

ただ、最近は公営プールに月半分ぐらい通う習慣がつき、「今だったら、スイムに挫折しないで通えるんじゃないだろうか。帰宅ランのついでに風呂入って帰るってこともできそうだし」と思い、4月1日の本日よりジム通いを再開することにいたしました。

 

 

ということで、入会手続きを済ませ、今日はプールという気分ではなかったので、トレッドミルで走ることにしました。

傾斜は3%。

 

ランナーの中にはトレッドミルで走ることを嫌う方もいらっしゃいますが、私は90分ぐらいなら全然苦痛に感じなく走れます。

硬いアスファルトよりも、脚に優しそうだしね。

 

 

ちなみにシューズはこれ。

Amazonで売っていた安い「ベアフットシューズ」です。

柔らかいトレッドミルの上だったら、スピードを上げようとか思わなければ、全然足裏が痛くなることなく走れますね。

軽くて持ち運びにも便利だし、ジムトレにはいいシューズかもしれない。

 

 

今日のところは6㎞でやめときましょう。

やっぱ寒い屋外と違って、温かい室内だと汗だくになりますな。

 

でもって、ワークアウト後は風呂。

やっぱ、風呂があるのは最高だな。

最近思うことは、シャワーよりもきちんと湯船につかった方が、睡眠の質は爆上がりするので、こういう「疲労抜き」に関する投資はしっかりしておくべきなのかもしれない。

どうしても、私のような「一人暮らしずぼら男子」は、家の風呂に湯を張るという手間がめんどくさく感じるからのう。

 

ふー、いい湯だった。

今回のジム通いの目的はプールとトレッドミルと風呂にあり、筋トレはあんまり重視していないのだが、過去の記録を見ると、真面目に筋トレをしていたときの方が、フルマラソンの記録がよかったんで、ちょっとは筋肉も鍛えんとな。

ランナーにとって、「重りとなるような筋肉は、可動域も狭くなるし不要!」と思っている私であるが、年と共に筋肉は衰えていくものだし、ある程度はしっかりつけることも必要だろう。

せっかくマシンもあるんだから、有効活用していこう。

 

あんまりスタジオレッスンには興味のない私であるが、せっかく高い金を払っているんだから、ヨガレッスンも始めてみようかしら。

身体がカチンコチンに固い私であるが、片岡鶴太郎氏の著書の影響もあって、ヨガの持つ精神性にちょっと興味を持っている私である。

 

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しかし、今から「あれもやろう、これもやろう」とハイになっていると、5月になるころには、最初に書いたように「燃え尽き症候群」になっていることが予想されるので、とりあえずは「風呂に入るつもり」で、気楽にジム通いを続けていきたいと思います。

 

さようなら。

2024北海道マラソン申し込み完了

2023年度は、今日が年度末の日。

だから何だって言えば、何もないんですが、明日から釧路生活も10年目を迎えるのだなあとじみじみ。

だから何だって言えば、何もないんですが。

 

 

今朝はローラー台からのスタート。

朝の冷え込みが弱くなったんで、クソ寒いローラー部屋に朝から入れるようになったのはよい。

さすがに「マイナス二桁」の世界では、朝から暖房のないローラー部屋に行こうという気力はゼロだったからな。

 

40分くるくる回して、クラブ練のウォーミングアップは終わり。

9時からは運動公園で走ります。

 

 

8時ぐらいは雨模様の釧路でしたが、ちょうど運動公園に着いたころには上がってましたね。

来週は隣町白糠で、道内一早い開催のレース「白糠町ロードレース」がある関係か、周りのペースは速め。

レースに出ない私はマイペースでのんびり行きましょう。

 

しかし、周りに触発され「俺も」という気持ちになったのか、最後はビルドアップ気味に。

ラスト1㎞は久々に「キロ4分半」ペースで走ったが、心拍は170を超え、息も絶え絶えと全盛期には程遠い状態ですな。

ワシ、ホントに去年「キロ4分25秒ぐらい」のペースで、42.195㎞も走ったんだろうか。

まあ、過去の栄光を追い求めてもしょうがないので、現在の自分のポンコツぶりを認めて、できることをできる範囲でやっていきましょう。

 

 

金曜日は暴風雨だった釧路。

コース上は倒木の跡があり、いかに風が強かったかを物語ってますね。

関係者の皆様、走れるようにコースを回復してくださり、ありがとうございました。

 

結局、14㎞をキロ5分23秒ペースで終了。

朝のローラー練で疲労が残っていたってのもあったが、ペースの割には心拍は高めでしたな。

現在地はわかったので、4月から徐々にVO2maxを刺激する作業を入れていきましょう。

 

午後からは、コインランドリーで寝具洗濯したり、床屋行ったり、スーパー銭湯行ったりで過ごす。

 

 

春採の大喜湯は、ぬるめの水風呂があるところがいいな。

まだ本格的なサ活を行うには体調が怪しいので、ぬるい水から徐々に慣れていくことにしよう。

ここ数ヶ月で温水プールのぬくぬくさに慣れきってしまったので、水風呂が余計しんどく感じたりする。

 

18時半ごろ、銭湯の休憩室でX(旧twitter)を見ると、北海道マラソンの申し込みがすでに始まっていたのだな。

てっきり20時からだと思っていた。

出遅れた!

 

とは言え「クリック合戦」となっていた人気大会の道マラも過去の話。

待ち時間ゼロでサクッと、今年もエントリーすることができました。

 

今年からはゼッケンに「ニックネーム」を入れることができる(別途880円)ということで、私は「かっぱちゃん」を入れて走りますよ!

今年も仮装ランチーム「かっぱちゃん」で、最後尾からわいわい楽しみたいと思います。

 

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あと、去年同様「ルナサンダル」で走る予定なんで、足元が暖かくなる季節になったら「サンダルラン」も取り入れんとな。

去年の故障は、ルナサンダル使うようになってから劇的に改善したので、今年もサンダルで「怪我をしない身体作り」に取り組んでいきたいと思います。

 

一度倒れてからは、「キロ7分10㎞」で疲労困憊となり、「これ来年の北海道マラソン大丈夫なのか?」と思ったものだが、ここまで回復することができ満足です。

今年も数字の目標はなく「ひたすらアホになって楽しむ」道マラに徹していきたいと思います。

 

さようなら。

2024 3/24~3/30 ランニング週記

気がつけば、もう年度末。

3月頭のころに比べたら、確実に雪はなくなっており、路面だけ見たら確実に「春」と言っていいだろう。

まだまだ朝は氷点下まで冷え込むんで、早朝の行動はちょっとしんどいがな。

 

 

今週の走行距離は44㎞。

一度倒れてから、しばらく「月間走行距離200㎞縛り」でやってきましたが、今月はもう216㎞になっちゃいましたね。

まあ、今月は土日が5週あったから、「週末ランナー」としては仕方ないね。

幸い体調には問題なさそうなので、来月からは「月間200~250㎞」ぐらいに増やして、ちょぼちょぼスピードも上げていきたいと思います。

 

 



サイクリングロードは冬期通行止めで、除雪の入らない部分も雪がなくなっていました。

4月の半ばに通行止めが解除されると、いよいよロードバイクの出番かな。

今日は午後になって、気温が10度近くまで上がり、天気も良かったんだが、風が強すぎて外をサイクリングするのは無理でしたね。

ラジオでデイゲーム中継聴きながら、くるくるローラーを回しておりました。

 

 

スイムは、クロールを泳いでいるのに、遅すぎてガーミンさんに「平泳ぎ」と判断されるぐらいに破滅的なスピードですが、ちょっとずつ進歩はしているんじゃないかなあと思います。

 

「キックは苦手。ダメ。嫌い」と頭から決めつけ、「我流2ビート」で泳いでいましたが、多分、これで変な癖がついて進歩しないんだなあと、最近はバタ足からやり直しています。

 

 

この動画を見てから、水泳教室に通っても全く進まなかったキックが、少し前に進むようになりましたね。

人間、ちょっとでも進歩が見られると、面白く感じられるもので、基本通りに「腰を浮かせた6ビートキッククロール」をマスターしてからだなと、心を入れ替えたのでありました。

まずは、バタ足やサイドキックで「浮く姿勢」を作ることからだなと。

脚の力を抜いて、疲れずに打ち続けるキックを身につけていこう。

この「脱力で股関節を使ったキック」はきっとランにも役立つはず。

クロストレーニングは無駄にはならない。

 

さようなら。

人生は暇つぶしのゲームです

最近、何気なくYouTubeを見ていて、妙に心に引っかかった動画がこれ。

 


www.youtube.com

 

去年の11月に、一歩間違えていたら〇んでいたかもしれない事故を経験してから、おぼろげに思っていたことが、はっきりと言語化されていて、「これだ!」と思ったものであった。

 

この動画の中に出てくる「最後は全部パー」ってのは、病棟のベッドの中でつくづく実感したものよ。

〇んでしまえば、自分の中に残るものなど何一つないんだな。

というか、自分自体が「存在しない」ものなんだなと。

 

 

んなわけで、図書館で借りてみました。

動画に出ていた「スマナサーラさん」の本。

 

過去のデータは捨てましょう

『わたしのもの』など何ひとつない

など、「いま、ここを生きる」ためのヒントが隠されていますね。

何かを目指して「バベルの塔」を積み上げようとしても、そんなものはパーになるのです。

 

私のメンター的な本として、10年ぐらい前から何度も読み返している「ニューアース」という本。

 

 

まあ、ぶっちゃけ図書館で借りたスマナサーラさんの本と似たようなことが書かれているのだが、この本の中でどうしても私が頭で理解できなかったのが、4章の最後に書かれている

 

「私の生命」なんてものはないし、私が生命を所有しているのでもない。私が生命そのものなのだ。私と生命はひとつである。

 

という文章。

 

これを読んでいる皆様も、この文を読んで「そうか!こういうことなのか!」とすぐに理解できる人は、そんなにいないんじゃないかなあ。

 

しかし、〇にそうになってからこの文を読み返してみると、「そうか!こういうことなのか!」と、すぐに実感できましたね。

頭ではいくら考えてもわからないものが、身をもって体験したことによって、身体で覚えたって感じでしょうか。

「そうか!私のものなんてものはないんだ」と、ふっと腑に落ちたような気がします。

(こんなことを書いていると、私が共〇主義になったんじゃないかと思う人もいるかもしれんが、それとは別。共〇主義も資本主義同様「モノや金」を第一に考えていることは変わらず、私が感じたのは「モノや金」を突き抜けた「何か」があるってこと。まあ、この「何か」ってのが言葉で説明できないんだがな)

 

退院してからのランニングは、ガーミンの示す数字にはあんまり興味を示さなくなってきたってのが、正直なところです。

「数字だけを目指して、より速く走りたい」って欲は、「バベルの塔」を築こうとするのとあんまり変わんないのかなあと思ったりして。

 

 

ガーミンの数字とにらめっこして走るのもいいですが、自分の身体と対話しながら、ふっと「ああ、こんなに夕焼け空ってきれいなものなのか」と、「いま、ここに気づく」ランニングライフも悪くないものだと思います。

手足の動きを観察しながら、客観的に感情や行為だけを確認する「瞑想ランニング」で、穏やかな心を形成するのも、また一つの「走る愉しみ方」なのではないでしょうか。

 

ちなみに文中に出てきた「ニューアース」という本は、観念的な記述が多く、お世辞にもわかりやすいとは言えないので、以下のサイトの解説文を見ながら読み進めていけばいいんじゃないかなあって気がします。

 

www.6rou.net

 

さようなら。