今年4月にお亡くなりになった「知の巨人」立花隆さん。
知のカケラもない私は、今まで氏の本は一冊も読んだことがなかったのだが、これを機会に何か読んでみようかしらと選んでみたのがこれ。
若い頃の私は、今にも増して「唯物論者」でしたので、タイトルだけ見て、「こんなオカルトチックな本など読めるか!」と思っていたものですが、人生の折り返しを過ぎて、50も近くなっていくと、こういう「科学で証明できないもの」に惹かれていくのかもしれません。
小説「坂の上の雲」の主人公である、日露戦争で活躍した秋山真之海軍中将も、晩年は宗教にハマってたようでしたしな。
「体外離脱」とか「神に出会った」とか、そんなインチキ臭い超常現象を「科学的なアプローチ」で解き明かそうとしていく過程は面白かったですな。
まあ、結局、「臨死体験」は「実際に死の直前に起こること」なのか「単なる脳の錯覚」なのかという結論は出ずに、その辺の判断は、読者に委ねる形になるわけだが。
ところで、臨死体験といえば、私の中で、2年前に出た「サロマ湖100kmウルトラマラソン」のことを思い出すわけです。
「臨死体験」の典型例として、「トンネルをくぐると、光の世界に出てきて、そこにお花畑があった」なんて話がよく出てきます。
レース時の私は、死にそうな思いをしながら80kmを走り、鬱蒼とした森のトンネルをくぐります。
そして、トンネルを過ぎると眩しい世界が拡がり、一面にお花畑があるではありませんか!
これってひょっとしたら臨死体験の世界?
で、ワッカのお花畑に入った瞬間、体外離脱したわけではありませんが、何かが私の中で「すーっと抜ける」感じがしたのです。
ワッカに入る直前は「もう、これ無理だわ」と心身ともにくたびれ果てた状態でしたが、ワッカに入った瞬間「あ、これ行けるかも」と、体はくたびれたままでしたが、心は妙にシャープになった記憶があります。
人間の生死に比べたらちっぽけなものかもしれませんが、100kmウルトラマラソンの終盤のように、何か極限状態を超えたところで、人間は苦しさを紛らわせるために、脳内から麻薬が放出され「臨死体験」のような恍惚状態を味わうのではないでしょうか。
知らんけど。
本の中で、「臨死体験は、自分の中で持っているイメージの光の世界を見る」という記述がありました。
例えば、キリスト教を信仰する人は「光の中にイエス・キリストを見る」とかそんな感じです。
だとすると、私は死ぬ前にワッカのお花畑をイメージし、恍惚状態で上の写真の奥にあるような「生死を分ける橋」を渡っていくのだろうか。
そう考えると、「死ぬということもそんなに怖くないことなのかもしれない」とちょっと思った今回の読書なのでありました。
まあ、本の最後にも書いてありましたが、臨死体験が本当にあろうとなかろうと
いずれ死ぬときは死ぬ。生きることは生きている間にしかできない。生きてる間は、生きてる間にしかできないことを、思い切りしておきたい
と、考え、行動していくことが、結局は生きていく中で、大事なことのではないでしょうか。
さようなら。