ゴシラン

走ることについて語ります

2025年サロマに向けて、残り1年と1週間

本日はクラブ練の日。

コースは4ヶ月ぶりに「又飯時(またいとき)」の地を走ります。

ここは去年「壱岐ウルトラマラソン」の練習コースとして、私が狂ったように走った「坂だらけ」のコース。

距離は15㎞とそんなに長くないですが、獲得標高約300mと、ほとんど平らなところのないコースです。

 

 

今日も最高気温18度と、冷んやりした釧路。

晴れていると、海の青と空の青のコントラストが鮮やかなのだが、こういう日は海と空の色の区別がつきにくいですね。

 

 

激坂を上り、中間点の又飯時の看板と、政治家のポスターに見守られます。

道東は、やはりあの方の王国ですね。

あと半分、頑張りましょう。

 

 

晴れていると、坂から見下ろす海がいい感じなんだが、まあ、こういう日もあるさ。

今日は「サロマ一週間前」ということもあり、マッタリ調整ジョグペースで皆様走られておりました。

練習会後の雑談の話題は「サロマ一色」でしたね。

今日みたいな涼しい気候だったらありがたいのですが、来週日曜のサロマ地方の天気予報を見ると、晴れで最高気温が25度ぐらいまで上がり、去年同様暑くなりそうですね。

私は走らない分、現地で力の限り応援させていただきますので、皆様の熱い走りを期待します!

持っている力を出し切りましょう!

 

 

走った後は、ガッツリ昼寝して、サ活。

前は「限界まで走って、限界までサウナに入って、限界まで食う」という休日が心地よかったのだが、もう「限界まで」というのが、しんどく感じられるお年頃。

サウナもアホみたいに10分以上入るのはやめて、5分ぐらいでスパっと出るのがちょうどいいような気がします。

 

かつては、「限界まで自分を高めていく」というのが「いい生き方」だと思っていたのだが、去年の秋に倒れて、「限界の向こうにあるのは、タヒだけじゃねえか?」と感じるようになってからは、「普通」「腹八分」が心地よく感じてきますね。

ちょっと「物足りない」ぐらいでやめておくのが、ちょうどいい塩梅なのかもしれません。

 

「何かすげえことをやって高めていこう!」というよりは、「普通」の日々を淡々と継続して、その「普通のレベル」を徐々に上げていくのが自然なのかなあと思う今日この頃です。

いや、レベル上げも重要じゃないな。

そのレベルというのは、所詮「他人のモノサシ」だし。

 

他人から見たレベルが上がろうと下がろうと、その人にとって「今、心地よく感じる」、そんな「普通」が一番なのだろう。

個々人が持つ「普通」を大事にしていこう。

その「普通」が、他人にとって「変態」と見られようが、気にしない。

 

ちなみに私にとって、来年2025年のサロマ湖100㎞ウルトラマラソンを完走することは「普通」だと思っています。

 

私はキリスト教徒ではありませんが、目標達成のカギは、聖書のマルコ福音書11章23~24節に書かれていることが全てだと思います。

 

よく聞いておくがいい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心の疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。

 

そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めるものは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。

 

 

来週サロマに参加される皆様が、笑顔でゴールに飛び込むことを祈ります。

 

さようなら。