ゴシラン

走ることについて語ります

「超ウルトラキャノンボールラン2」参加記(その4)

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第三CPである「千歳ママチ川公園」を出発し、本日の目的地である苫小牧へと向かいます。
思えば2本の足だけで遠くに来たものよ。

 

南千歳からウトナイ湖までは、ひたすら何もない一本道を進みます。

恵庭からひたすら続いている向かい風は気になりますが、15時を過ぎ、グッと気温が下がり走りやすくなってきました。

 

最初は右側に歩道が存在していましたが、途中から歩道がなくなるポイントがあり、そこに誘導のスタッフさんがいらっしゃいました。

「ここからずーっと10kmぐらいコンビニはないので、補給食はどうですか」と、ビニール袋に補給食を用意してくださいました。

こういう田舎道の「無人地帯」でのサポートは本当にありがたい。

 

 

スタッフさんに見送られ、再び走り出します。

自分で言うのも何だが、俺、いいふくらはぎしているな。

以前、マッサージのおばちゃんに「いいふくらはぎしてますね」と、褒められたことがあったが、確かにケニア人ランナーのような細いセクシーなふくらはぎをしておる。

履歴書の長所の欄に「ふくらはぎ」って書けるレベルだな。

って、あんまり調子に乗るな、俺。

 

そんなふくらはぎをあまり酷使しないようにしながら、うんざりするような一本道をひたすら進みます。

80kmを過ぎた辺りから、疲れとか痛みとかそういったものを超越して、「このままどこまでも走り続けられるんじゃないか」と、やたら頭の中から「幸福ホルモン」が分泌されてくるのね。

ウルトラマラソンを好きになれるかどうかのポイントって、自分の中で限界と思ったところを超えたときに、「あれ、まだ意外と行ける」とハイになれるかどうかにあるのではないのかな?

サロマ湖100kmウルトラマラソンで言えば、80kmのワッカの辺りで、幸福感を得られるかどうかが、「変態ランナー」と「普通のランナー」を分ける目安になると思います。

 

今、振り返ってみたら、きっとあのときの私は「ゾーン」と呼ばれる「超集中状態」に入っていたのだろう。

あくまで個人的経験だが、極限まで疲労し、脳みその機能が停止して、何も考えることができないときに、ふっと「ゾーン状態」に入れるんじゃないかって気がする。

で、「あ、今ゾーンに入っているかな」って考えが、頭に浮かんだときに、その「ゾーン状態」は消えてしまう、雲をつかむような不思議な存在である。

 

そんなゾーン状態の中、約95km地点で、ウトナイ湖到達。

ここで、「あ、やっと店のあるところに来た。エナジードリンクで補給だ!」と雑念が入り、ゾーン状態は終わってしまいました。

 

んで、湖近くのセイコーマートで補給。

うぉぉ!やっぱ、エナジードリンク一気飲みすると復活するぜ!

このまま苫小牧市街まで突き抜けるのだ!

 

ワタクシ、2003年から2004年まで苫小牧に住んでおりました。

よって、苫小牧の地理は把握しています。

苫小牧は東西にやたら長い街で、こっから中心部までが意外と長いのよね。

周囲は住宅街や、イオンなどの郊外型の大型店が目につくようになりましたが、駅までがやたら遠い。

すでに時刻は17時を過ぎ、あれだけ札幌は暑かったのに、むしろ肌寒く感じるぐらいです。

太平洋側の苫小牧って、釧路と気候が似ていて、夏でもそんなに暑くならないのよね。

 

ついに100km地点に到達しました。

経過時間は「12時間41分」。

信号があって、30kmぐらいずっと向かい風のコースで「100km13時間以内」で走れたんだから、これでサロマも大丈夫だなと、ほっと一安心しました。

そしてこっからが100kmマラソンを超えた「超ウルトラ」の始まりです。

 

やっぱ、100kmってものにどこか「心の壁」があるんだろうなあ。

今までだましだまし動いていた手足が、一気に固まったように動かなくなっていく。

つーか、ゴール地点は100kmを超えたところにあったのか。

まあ、公認大会でも何でもない走行会的なイベントなので、距離の正確さは期待していなかったが、苫小牧の地理を知っている人間としては、「げ、まだこっから5km以上はあるぞ」と、ゲンナリした気分になるのでした。

 

それでもここまで来たら、ゴールになっているホテルまで自力で進むしかないわけで。

途中で、昔、私が住んでいたボロマンションの前を通り、「おー、あのマンションまだ取り壊されていなかったか」とか「おー、向かいのローソンまだ存在していたのか」とか、私以外にはわからない感激に浸りながら、いよいよ残り1kmとなりました。

 

うわー、長かった。

辛かった。

故障していた脚が痛むときもあった。

でも、フルマラソンの距離を超えた辺りから、それ以外の痛みも加わって、何の痛みなのかわからなくなってきた。

「木を隠すなら森の中」ではないが、「痛みを隠すには他の痛みを加える」のがひょっとしたらいいのかもしれない。

辛さや痛みを超えると楽しくなってきた。

そして、ここまで支えてくれたチャーリーさんを始めとする皆様に感謝の気持ちが沸いてきた。

残りわずか、最後まで胸を張って走ろうではないか。

 

鉄橋を越えて、駅方面に進み、ついに第四CPである「75km」「100km」の部のゴール地点、ウイングインターナショナル苫小牧に無事到着することができました。

ここまで約107km。

経過時間は「13時間35分30秒」。

遅いながらも、信号以外のところでは歩くことなく、小樽から苫小牧まで走り抜けることができました。

 

 

Vサインは出していますが、完全にやられた表情をしています。

つーか、もうすでにゴールの気分なんだが、こっからまだ50kmぐらい残っているんだよな。

ちなみに150kmの部のトップの方は、私よりも1時間以上前に第四CPに到着したのだが、「心が折れたのでやめる」とDNFされたそうです。

確かに一旦ゴール地点に着いてからまた走り出すって、エネルギーいるよね。

 

私の中でも「もうこれでやめてもいいかな」と思いましたが、残念なことに脚も気力もまだちょっと残っているのです。

これはやはり、同じ150kmの部に参加されているタマ子さんの存在が大きいかと。

 

ということで、第四CPでスタッフさんや他のランナーさんと雑談しながら大休止して、タマ子さんの到着を待ち、最後は一緒に走ろうと決めたのでありました。

「絶対タマ子さんは第四CPでDNFするような人ではない!」という、根拠のない確信を持ちながら。

 

(つづく)