ゴシラン

走ることについて語ります

鼻呼吸ラン2週間目(メンタル編)

従来、口呼吸でゼーハーしながらランニングをしていましたが、以下の本をヒントに「鼻呼吸」を取り入れ、優雅に走ることを試みてみました。

 

トップアスリートが実践 人生が変わる最高の呼吸法

トップアスリートが実践 人生が変わる最高の呼吸法

 

 

で、呼吸法を「鼻呼吸」にした結果をフィジカル面でまとめたのが以下の記事になります。

 

gossy54200.hatenablog.com

 

今日は「鼻呼吸」によって、メンタル面がどう変化したのかを述べていきたいと思います。

 

《ゾーンに入れ!》

 

スポーツの中で「ゾーン」という状態に入ることがあるようです。

この概念を私は三浦しをんさんの小説「風が強く吹いている」で知ったのですが、小説の言葉を借りると

 

・高い集中がもたらす、特殊な心身の状態がゾーンだ。過酷な練習を積んだトップアスリートが、極限状態となる試合中に、まれにゾーンに入るという。

・ゾーンはどうやら、唐突に訪れるらしい。ランナーズ・ハイより鮮烈で、瞬間的に、しかも試合中のみ起こる。

・ゾーンに入るほど競技に対して集中できるということは、選手として一流になれる適正がある証拠だ。

ランナーズ・ハイとゾーンは、現象は似ているが、たぶんきっかけとなる回路がちがうのだ。ランナーズ・ハイが体を動かすことで引き起こされるのに対し、ゾーンは極度に集中した心理が契機となる。

 

風が強く吹いている (新潮文庫)

風が強く吹いている (新潮文庫)

 

 

と、これだけを読むと、超一流アスリート特有の心理状態で、とても私のようなへっぽこ市民ランナーには無縁の世界であるように思われます。

 

《呼吸に集中することでゾーンに入る》

 

普通の人には縁がないように思われる「ゾーン」という極度の集中状態。

しかし、パトリック・マキューン氏によると「呼吸」がゾーンに入るカギになるということだ。

 

ここでちょっと話題は変わるが、私の中で精神的な指針となっている本に「ニューアース」という本があります(これは本当におすすめの本。私は5年前にこの本に出会って、少なくとも10回は繰り返し読んでいる)。

 

ニュー・アース

ニュー・アース

 

 

ニューアースの中で「呼吸を観察することによって、思考が中断され、いまこの瞬間にあることができる」みたいなことが書かれている。

「ゾーン」のような極度の集中状態に入るには「思考」は邪魔なのである。

少なくとも、レース中にガーミンとにらめっこしながら「ああ、このペースは速すぎる」「もっとペースを上げなきゃ!」とか「思考」が入っているようでは、とてもではないが「ゾーン」の状態には入ることができない。

 

パトリック・マキューン氏も、基本「ニューアース」と同じようなことを書いている。

「お腹のふくらみを感じろ」とか「体の内側を意識しろ」とか「周りの環境と一体となれ」とか、色々書いてあるが、私としては「スッハッ、スッハッ」という呼吸に耳を済ませて、「ああ、自分は呼吸をしている」と、自分が呼吸をしている機械であるかのように、客観的に自分を眺めればよろしいのではないでしょうかと思います。

まあ、その辺の「呼吸の集中」の仕方は、それぞれのやり方があると思いますので、テキトーな感じでいいんじゃないでしょうか。

大事なことは呼吸に集中するというよりは、その結果として生じる「思考が減る」ということです。

 

《では、呼吸に集中すると具体的に何が起こるか》

 

身もふたもないことを言います。

 

「何も起こりません」

 

呼吸に集中したから、いきなり1キロ3分30秒で走れるようになるとか、心拍数がめっちゃ下がったとか、何キロ走っても全く疲れないとか、そんな効果は残念ながらありません。

 

ただ、うまく言葉で表現することはできないのですが、自分の心の中に小さな平和と満足が残るというか、なんちゅーか

 

「いい意味で、どーでもいい」

 

って気分になります。

「もっとペースを上げなきゃ」とか「いいフォームで走らなきゃ」とか「1億円ほしい」とか「1億円もらっても走りたくねえ」とか、頭の中で暴れている思考がピタッと収まり

 

「俺、息してる、走ってる。以上」

 

と、自分の行為に一切の判断を加えず、淡々と行為に集中することができます。

もっと言えば、「サブスリーを目指そう」とか、そういう欲がすーっと抜けて、弱虫ペダルに出てくる真波山岳君ではありませんが。

 

「俺、今、生きてる」

 

って感じがするのですよね。

 

これが「ゾーン」なのかどうかはわかりませんが、平和な満ち足りた気持ちになれるなら、それにこしたことはありません。

これは人の価値観によると思いますが。

「うりゃー、キロ3分40秒でガンガンインターバル走で鍛えなきゃ!」と切羽詰まった状態で走るのと、「俺、息してる、走ってる。以上」と何も考えないで走るのは、どっちの方が簡単に幸福感を得られるでしょうか?

前者だと「キロ3分40秒」で走れているときは幸福感を味わえるかもしれませんが、そうじゃないと失望感だけが残ります。

その点、後者だと結果を気にせずに、行為のみに集中すればいいわけですから、より簡単に幸福感を味わえるのではないでしょうか?

 

私の好きな稲垣えみ子さんの著書「寂しい生活」から、一節を引用すると

 

本当の自由とは、その思い込みを脱すること、すなわち「なくてもやっていける」自分を発見すること。もう何も追いかけなくていいんだと知ること。それこそが自由だったんじゃないか。

 

寂しい生活

寂しい生活

 

 

サブスリー」とかの目標を持つことは大事だと思いますが、その目標はあくまで自分で勝手に作った「幻」であり、思い込みです。

そんな「幻」にとらわれないで、何も追い求めず、「今、この瞬間」を受け入れ楽しむのもいいのではないでしょうか。

 

タイムや距離を求めず、ただ走る。

そんなランニング生活もありではないかと。

 

最後に、ヘッセの小説「シッダールタ」より、お気に入りの一節を引用して終わりにしたいと思います。

 

「さぐり求めると」とシッダールタは言った。「その人の目がさぐり求めるものだけを見る、ということになりやすい。また、その人は常にさぐり求めたものだけを考え、一つの目標を持ち、目標に取りつかれているので、何ものをも見いだすことができず、何ものをも心の中に受け入れることができない、ということになりやすい。さぐり求めるとは、目標を持つことである。これに反し、見いだすとは、自由であること、心を開いていること、目標を持たぬことである。

 

シッダールタ (新潮文庫)

シッダールタ (新潮文庫)

  • 作者:ヘッセ
  • 発売日: 1959/05/04
  • メディア: 文庫
 

 

大会がない今だからこそ、目標から離れて、「さぐり求めず」に、「見いだす」ランニングスタイルに気づくのもいいのではないでしょうか?

そのカギが呼吸には隠されているような気がします。

 

今回の記事は、今現在インターハイが中止になって、茫然自失となっている高校生にはちっとも伝わらないと思いますが、きっとおっさんおばはんになったら、君たちも私の言ってることが少しはわかるようになると思いますよ。

今を受け入れ、競技自体を楽しみましょう。

 

さようなら。