ゴシラン

走ることについて語ります

食も走も「一生懸命」

年末年始にかけて、色々と本を読んできました。

そん中で、「お、これは!」と思ったのが以下の一冊。

 

 

私は料理というか、家事全般が苦手である。

ただ、ここ数年「家事を疎かにするとメンタルが乱れる」ということに気づき、極力、「自炊をすること」「汚部屋にしない」ということを心がけています。

 

わたしゃ、若い頃から「完璧主義」というか「オール・オア・ナッシング」のところがあり、自分に高いハードルを課してしまいます。

その結果、高いハードルを乗り越えることができず、「やっぱやーめた!」と、全てのことを投げ出す「ナッシング状態」になってしまうことしばしばでありました。

食事は出来合いのものや外食ばっかりだったし、部屋は汚部屋だったし、ひどいものでありました。

 

わたしゃ、りんごの皮を包丁で剥くことができないぐらい不器用です。

揚げ物を作ろうとしたら、火事になりかけて、それ以来封印しています。

めんどくさい手間のかかる料理を作ることはできません。

 

しかし、「日々の料理は、めんどくさいものじゃなくても十分だ」と、本の中で料理研究家土井善晴さんはやさしく語りかけてくれます。

めんどくさいものじゃなくても、「ご飯と漬物と具いっぱいの味噌汁があればよい」と。

難しいことを無理にやろうとするから挫折するのであり、日常できる飽きないものを淡々と続けていけばいいのです。

 

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私の平日の夕食は、だいたいこんな感じです。

味噌汁は「だし入り味噌、冷凍ネギ、乾燥きざみ揚げ」にお湯を入れるだけという「手抜きレシピ」です。

それでも、コンビニ弁当では味わえない「自分で自分の生活をコントロールする喜び」が、自炊生活にはあると思います。

 

いちばん大切なのは、

 

一生懸命生活すること。

 

一生懸命したことは、いちばん純粋なことであり、

 

純粋であることは、もっとも美しく、尊いことです。

 

上手下手に関わらず「一生懸命」料理をする。

速い遅いに関わらず「一生懸命」走る。

難しいことを中途半端にやるよりも、簡単なことを丁寧にする。

 

食べること、走ること、生きること。

どれも難しく考えれば、いくらでも難しく考えることができるテーマだと思います。

でも、こういうことがめんどくさくなったり、嫌にならないためには、目の前にある「シンプル」なことを「一生懸命」やることが大事なのではないでしょうか。

例え他人に認められなくても、自分にとって、これがいいと思うものを一生懸命やり続けていきたいものです。

 

さようなら。