ゴシラン

走ることについて語ります

「第38回サロマ湖100㎞ウルトラマラソン」大反省会(その1)

「鉄は熱いうちに打て!」ということで、レースレポの前に、サロマの反省会をさっさとしていきましょう。

 

今回の敗因はもちろん故障の再発というのもあるのですが、それ以上にダメダメだったのが、ズバリ「メンタル」。

54.5㎞の中間エイドまで理想的な展開だっただけに、余計、突然の痛みに脳がパニックになって、対策を考える余裕もなく、悪い思考の波に流されるがままに、気がつけばDNFを決意していたって感じです。

 

故障箇所以外は何ともなかったのです。

疲労度は1/3ぐらいでしたし、脱水や胃腸障害もなく、足を引きずりながらでも前に進むことは十分できたわけです。

 

残り40㎞でタイムアウトまで約6時間。

うーん、今の冷静な頭だったら、フルマラソン未満の距離を6時間なら何とかなるんじゃないかと思えたのでしょうが、なぜかあのときは「無理!」と判断しちゃいましたね。

これが残り20㎞でタイムアウトまで3時間って状況だったら、「這ってでも行ってやる」と思っていたのでしょうが、40㎞という距離に急に恐怖を感じました。

脳というのは、キツい状況になると、ありとあらゆる手でやめさせようと画策するのですね。

痛みに負けたというより、脳に負けました。

ウルトラは脳との戦いだ」と、誰かが言っていたような気がしましたが、本当に今回はそれを痛感しました。

今回サロマを完走されたランナーの辛そうな完走記を読んでいると、「なんでこの程度の痛みでやめたんだ俺」と、後悔の念がふつふつとわいてきますね。

どっかで「かっこよくゴールしたい」というつまらないプライドが邪魔して、「ボロボロになってでもゴールするぞ!」という決意が圧倒的に足りなかったのかもしれません。

 

「100㎞、10時間以上の旅」になると、ずーっと順調なことってないだろうし、逆に、ずーっとダメダメだってこともないと思うのですよ。

体調もメンタルも必ず波がある。

その波に気づかずに、「ここで耐えればまた復活できるかもしれない」と思えなかったのが全てかなあ。

うん、いい経験になった。

次回はしっかりと「脳の作る幻」を「幻」と認識できるように、気づきの力を残しておこう。

 

 

今回の50㎞以降の状況を整理すると。

 

50㎞~めっちゃ順調。上りで歩いている人たちを抜かしまくって、「やっと面白くなってきたぞ!」とハイになる。

54.5㎞中間エイド~前回はここですでに胃腸障害を起こしかけていたが、今回は余裕で食べることができ、胃腸も絶好調。「さっさと行かなければ!」と休憩もそこそこにして可及的速やかに再出発。

56㎞~あれ?ちょっと左大腿が痛むかも?中間エイドでロキソニン飲んどけばよかったか。

57㎞~痛みがひどくなり歩き出す。うーん、しゃあない。ウルトラには必ず復活がある。競歩ペースで進んで60㎞のエイドまではなんとか耐えよう。

57.5㎞~痛みがどんどんキツく感じてくる。給水はないので、手持ちの「酢味噌」で強引にロキソニンを流し込む。

59㎞~すぐにロキソニンが効くわけもなく、早歩きも無理な状態になり、足を引きずり出す。完全に心が崩壊して、クラブのTかやさんに抜かれる際に「もうやめます」宣言をする。

60㎞~5㎞のラップが42分を超え、絶望的な気分になる。今考えれば、キロ9分でも完走できるペースなので全然問題なかったのだが、最初に「キロ7分」という目標を設定していたので、そのギャップで「もう無理」と自分の脳に騙されてしまったのだろう。椅子に座ってボーゼンとしているうちに、後ろの方がリタイア宣言したので、「じゃあ俺も」と正式にスタッフの方にDNFの意思を伝える。

 

56㎞で脚が痛み出してからDNFを決めるまで、わずか30分弱。

これまで6時間順調に進んでいたのはいったい何だったんだと思うぐらい、人間の心はちょっとしたことをきっかけに簡単に壊れてしまうのだなあと。

「一寸先は闇」というのは、正にこのことですな。

というか、闇に落ちたことも気づかないぐらいに、茫然自失だった収容バスでの時間でした。

「あれ、なんで俺、こんなとこにいるんだろ?」って感じでしたね。

 

自分の限界は自分の脳が作り出す

 

このことを肝に銘じて、マラソン以外でも「これは本当に限界なのか?脳の錯覚ではないのだろうか?」という客観的な視点を持って、逆境に対処できるようにしていきたいものです。

 

さようなら。