ゴシラン

走ることについて語ります

出来事をコントロールしない

GWは、どこも出かけることなく、本を読んでおりました。

 

 

フランクルの「夜と霧」。

精神科医第二次世界大戦中、ナチスドイツに捕らえられ、地獄のような収容所に放り込まれたが、そんな状況下でも「心の内面は自由だ」ってことが書かれています。

まあ私なら、「そんな拷問を受けてまで生き続けたいか?」と、平和ボケした頭で思うわけですが、その辺の詳しい心理は当事者にしかわからんのでしょうな。

あと、妻などの「愛する人の有無」という問題も、生にしがみつく要素としては大きいのかもしれない。

 

んで、私が「ホーッ」と思ったのは、「夜と霧」本書よりも、写真右側の解説書にある「自分の幸福を求めるのをやめる」という記述です。

 

いやいや、こんなの日本国憲法第13条「幸福追求権」に反しているじゃないかと思うかもしれないが、ここで言いたいのは「幸福は求めるもの」ではなく「心の内面で選ぶもの」であるということです。

 

図示すると、こんな感じでしょうか。

 

 

私も含め、普通の人は「幸せな出来事」というものを、まず頭に描き、それを追っかけるということをやってしまいがちですが、「夜と霧」の世界では、「出来事」というのは自分の意志とは関係なく、勝手に流れてくるものであり、その出来事に対して「幸せ」と感じるか「不幸」と感じるかは、その人の自由というスタンスです。

考えてみれば、理想の出来事というものを頭の中で思い描き、それがその通りになったということは、今までの人生で何回あったでしょうか?

そんな思い通りに行かない出来事を追っかけずに、身に降りかかった出来事を、自分の心で自由にとらえた方が、ひょっとしたら、より多くの「幸せ」を感じることができるのではないでしょうか?

 

そう考えると、「雨が降らなければいいなあ」と出来事を願って、「雨が降ったら残念」と思うのではなくて、松下幸之助氏のように「雨が降れば傘をさせばいい」と、出来事に対して願望をはさまずに、上手に対処することができるのではないでしょうか。

同じ松下幸之助氏の言葉になりますが、「好況よし、不況さらによし」というのも、好況のような理想とする出来事を追っかけず、理想と反して不況になったとしても、その出来事に対処していくことの大事さがうかがえるのではないかと思います。

好況や不況なんて、個人や会社でコントロールできるもんじゃないからな。

 

ラソンの記録を狙うのも、案外これと同じようなもので、最初に「このタイムだ!」という出来事を、計画を作って、体調を無視して無理に追っかけるのではなく(大体その計画は破綻する)、その日の調子に合わせて、自分の状態をしっかり観察して走った方が、結果的にはよい記録をゲットできるんじゃないでしょうか。

 

ちなみに私は事前に「松、竹、梅」とかという目標タイムはガチガチに設定せず、その日の調子に合わせて、無計画にガーミンは見ず、テキトーに走るタイプです。

 

さようなら。