最近のマイブームは、占い師「マドモアゼル・愛」先生である。
つい数ヶ月前まで、名前の響きから、マドモアゼル・愛先生は「40〜50歳ぐらいのエスニック調の派手な服を着た女性」という印象を勝手に持っていたが、YouTubeで、70過ぎの禿げ上がった爺さんだということを知って、腰を抜かしそうになった。
しかし、言っていることはなかなか私の琴線に触れるものがあり、ついつい先生の出している本を読んでみたのであった。
本の中で、「3つのお金の使い道」について書かれています。
1.生きるために必要な衣食住を満たすためのお金
2.自分らしく自由でいられるために使うお金
3.限りない欲望を満たすためのお金
本来は、まず第一に1を満たすためにお金が使われるべきなのでありますが、際限のない欲望のためにお金を使いすぎて、基本的な生活を維持するためのお金に回せなくなっている状況が起きていると、愛先生は指摘されています。
例えば、服や遊びでお金を使ってしまい、食事は身体に悪いコンビニ弁当中心の生活を送ると言った感じのお金の使い方です。
見栄や限りない欲望のために、最低レベルのことを犠牲にして、自分自身のことをないがしろにしているのです。
では、これを走ることに置き換えて考えてみましょう。
我々の「走る目的」は、以下の3つに分類できるのではないでしょうか。
1.生きるために必要な健康を維持するために走る
2.自分らしく自由に走る
3.距離やタイムなどの限りない欲望を満たすために走る
私自身に当てはめて考えてみると、走り始めた最初の目的は「ダイエット」という「健康増進」の目的がありました。
しかし、マラソン大会の魅力というのは、人を「数字」のために駆り立てるものです。
気がつけば、「フルマラソンサブスリー」とか「100kmウルトラマラソンを完走する」とか、数字の持つ欲望のとりこになってしまいました。
そのために、月300kmを超える走り込みをして、BMI18の「痩せすぎ体型」となり、血液検査でも「貧血気味」と、本来あるべき「健康維持」という目的が失われているのではないでしょうか。
フルマラソンのタイムが順調に伸びてきた辺りから、「自分の健康のため」ではなく「他人に対する見栄」のために走っているんじゃないかと思わざるを得ないのです。
昨日のブログにも書いたように、日々「疲れているなあ」と思うのは、身を削っている結果なのだということに、そろそろ気づかなくてはなりません。
毎日10km以上走らなくても、十分に心身の健康を手に入れることはできるのです。
そして、自分自身の健康をしっかり守った上で、「自分らしく自由に」走ることができれば最高です。
タイムにこだわらず、休みながら、グルメやスイーツや絶景を求める走りでもいいし、大会で、アンパンマンの被り物をして沿道の人々を喜ばせる走りでもいいし、とにかく自分が「快」だと思うことを大事にすることが必要なのではないでしょうか。
数字や順位だけのために走るのは、いつか「燃え尽き」を迎えます。
(極端な例を挙げると、円谷選手や原裕美子選手のようになってしまうのではないでしょうかね)
人生80年、1と2を満たして、自分を大切にしながら走ることが大事なのではないでしょうか。
「1と2を満たした上で、3を目指す」のであれば、それはより素晴らしいことだと思いますが、「3のために1や2を犠牲にする」ことは、長く続かないし、自分のためにもよくないと、自戒の念をこめて思った今回の読書なのでありました。
さようなら。