中間地点の50kmまでは極めて順調に進んでいた「100kmオンラインチャレンジ」でありました。
《50〜60km》 59:29(キロ5:57) トータル 5:37:22
50kmでメダリストジェルを摂取。
緩やかに失速が始まります。
とは言え、キロ6ペースは維持しているので、70kmぐらいまではこのペースを保って、そっからサブテンに向けて貯めてきた「貯金」を使っていこうかなと考えていました。
「こっからが耐えどき。ウルトラは復活があるから、しんどいときを耐えれば、また体が軽くなり動くようになる」と信じて、一歩一歩前に進めることのみに専念していました。
《60〜70km》 1:06:27(キロ6:39) トータル 6:43:49
このあたりから、少し頭がモーローとして、記憶が曖昧になっていきます。
61kmのラップが9分半になっていることから、ちょっと長目の休憩を取っていたのでしょう。
トイレに行ったとき、尿が真っ黄色で、「これは脱水症状になりかけてるな」とよろしくない兆候を感じました。
もう手遅れなのかもしれんが、水分をしっかり摂り、でもって3本目の「スーパーメダリスト9000」でエネルギーをチャージします。
更には釧路マラソンクラブ代表スコップさんが補給食として、わざわざ釧路の老舗和菓子店「二幸」まで行って差し入れしてくださった「大福餅」がありがたかったなあ。
大福餅のエネルギー以上に、そのお心遣いが走るエネルギーとなりました。
そして、この区間から、クラブ練の全体練習を終えたクラブのたかやさんが、再び私に並走してくださいます。
この辺りになると、ストライドが狭まり、脚も上がりません。
そんな中、「ここ段差気をつけてください」「ここ路面荒れてますよ」と、転倒注意ポイントを示しながら先導して下さいます。
疲労で注意力が散漫になっていく中で、段差につまづくことなく、ペースは落ちながらも安心して走ることができ、非常にありがたかったです。
ペースはキロ6を超えるようになってきましたが、それでも心拍数150を超えるアラートが数回鳴り、かなりの体全体のダメージを感じます。
それでも、「心拍を抑えてペースダウンすれば、必ず最後まで持つ」と、ペースを緩めながら淡々と進みます。
ここまで脚自体のダメージはありません。
脚さえ持てば必ず復活する!
十分すぎるほどのサポートをいただいて撃沈するわけには行かないのである。
「思うように体が動かなくなってからが、本当のウルトラの醍醐味よ!」と、半分強がりながら、70km地点を迎えます。
《70〜80km》 1:21:52(キロ8:11) トータル 8:05:41
70km地点で、サブテンまでのマージンは15分ちょっと。
こっからキロ6分半を維持できれば、まだまだサブテンは行けます。
ペースダウンはしているが、大ブレーキだけは防いでいこう。
脚はどこも痛いところはない。
過去2回のウルトラ経験から、80kmを超えれば「残りはハーフマラソン1本以下」と、精神的にグッと楽になるはずだ。
まずはこの10kmをしっかり心を強く持って走っていこう。
たかやさんは、ガーミンの電池切れということで、この区間で離脱し、またまた単独走になります。
ここまで全体練習を含めてフルマラソンの距離を走られたたかやさんには感謝の言葉もありません。
たかやさんにとって、大会でもないのにフルマラソンの距離を走ることは「日常」なのですが、それでも20km以上にわたる多大なるサポート、本当にありがとうございました。
このサポート、絶対無駄にはしません!
と、気持ちだけはまだまだ前を向いているのですが、75kmぐらいからペースがガタッと落ちます。
どこも痛くないのに、とにかく体が思うように動きません。
ピッチは180以上を刻んでいるのに、脚がまるで前に出ないのです。
その場で足踏みをしているような感じで、ちっとも前に進みません。
ここが最大の山場。
「ここを乗り切れば、80km以降は楽になるはず」と、まるで根拠のない信念を持ちながら、心だけは折れないようにしていこう。
しかし、今まで5km毎にしなかったガーミンチェックを、75km過ぎからは1km毎にするようになりました。
キロ8分を超えるペースがわかったとたんに、今までの緊張の糸が切れてしまったのかもしれません。
あ、ここまでかなと。
それでも歩くことだけはやめよう。
村上春樹の「走るときについて語るときに僕の語ること」で、サロマ湖100kmマラソンに参加したときのエピソードが書かれていました。
「僕はなにも歩くためにこのレースに参加したんじゃない。走るために参加したのだ。(中略)どんなに走るスピードが落ちたとしても、歩くわけにはいかない。それがルールだ」