ゴシラン

走ることについて語ります

自分の内側を見つめよう

今週も体調がイマイチでしたな。

 

頭がぐわんぐわん揺れるような感じがしたときは、「また脳に何か起こったんじゃないか?」と恐れの気持ちがでてくるが、安静にしていれば落ち着き、ほっと一安心するといった感じです。

まあ、単に「動けば具合が悪くなり、おとなしくしてると落ち着く」という、風邪みたいなものだってことがわかれば、そのうち良くなるだろうと思えてくるのだが、50過ぎの一人暮らしのおっさんが体調を崩すと、「このままヤバいことになるのでは?」と、よろしくない考えがぐるぐる頭をめぐり、メンタルによろしくないですな。

独身男性の平均寿命が短いのは、生活習慣を崩しやすいというのも、もちろんあるが、上に挙げたようなメンタル的なものや、「妻や子のために生き延びねば」という心の支えがないのもあるのではないかと思った、ここ数日でありました。

 

平日はおとなしくランオフにして、体調の回復を図った一週間でありましたが、天気のいい休みの日に家でじっとしているのも、精神的によろしくないかなと、今日はゆるくサイクリング。

 

 

ロードバイクだと、シャカリキになって漕いで、また体調悪くするんじゃないかって気がしたので、今日は通勤用のクロスバイクでゆるーく。

市街地から10㎞ぐらい離れただけで、馬のいる牧歌的な風景が拡がっているのはいいですな。

 

 

サイクリングロードの北斗休憩所。

6月になり、桜の季節は終わって、つつじが咲き乱れるようになりましたね。

いつも同じようなところを走っていても、こうして季節の移り変わりを感じることができるので、意外と飽きないものである。

 

サイクリングロードは、段差があったりして、スピードを出して走るには向いていなく、ぶっちゃけ走るだけなら車道を走った方がラクなんだが、それでもサイクリングロードには「幸福の原風景」が詰まっている感じがするのだよね。

湿原の中を走る心地よさ、スポーツ自転車だけではなく、ママチャリなど様々なスピードで走るチャリダー、思い思いのペースで走るランナーの皆様と同じ空間にいるのだと思うと、健康のエキスを分かち合っていると感じられるのである。

 

 

山花の動物園まで、約40㎞のサイクリングでした。

この動物園は入ったことがなく、50過ぎのおっさんが一人で入るには抵抗があるのだが、たまには動物に癒されるのもいいのではないかと思う、初夏のひとときであった。

ナマケモノと一緒に、グテーっと何も考えることなく動物を見つめていたい。

 

 

帰り道、業務スーパーに寄って、新釧路川の河川敷で「モグモグタイム」。

結局、私は走るとか自転車とか山歩きとか、そういう手段はどうでもよく、単に「青空の下で身体を動かしている」という行為そのものが好きなのであろう。

その「好き」という気持ちを大切にしていこう。

 

ランオフ生活で、時間だけがあり余っているので、久々に月額980円の「kindle unlimited」に入って、iPadで読書三昧の日々を過ごしておりました。

 

 

この本は以前も読んだことがあり、当時は「臨死体験?うそくさい」と思っていたものだが、実際、去年私がぶっ倒れて、臨死体験までは行かないが、意識不明になった経験をしてみると、また違った感想を持つものだなあ。

もちろん、この本に書かれていることの全てが「正しい」とは思わないが、「他人の意見」を軸にせず、「自分の内側の神様」を信じて、自分に愛情を持って生きることが、ストレスを少なく生きるコツなのではないかと思う。

 

走ることに関して、段々能力がインフレ化してくると「自分はまだまだやれる!こうしなければ」と、理想がどんどん高くなってくるが、「こうしなければ」という気持ちが、すでに「他人の意見」に軸足を移して、「自分の好き」がないがしろにされているのではないかと、ふと気づかせてもらった。

まあ、仕事だったら「こうしなければならない」ということに、もちろん従わなければいけないが、義務ではない趣味の世界に、こういうことを持ち込んで、ストレスをためたり、体調を崩してはいけないよな。

もっと「自分の好き」に正直になっていこう。

 

さようなら。