ゴシラン

走ることについて語ります

「第44回別海町パイロットマラソン」参加記(その3)

10月2日の午前10時にスタートが切られた「第44回別海町パイロットマラソン」。

20kmの通過タイムは「1時間27分45秒」と、目標とする「3時間10分切り」に対して2分ちょっとの貯金があります。

19km過ぎからは向かい風にちょっと苦しめられるが、ここまでは順調に進んでいます。

 

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《20km〜25km》(1:49:48 ラップ22:03)

 

向かい風の単独走がキツイが、ハーフ地点を過ぎれば、また左に曲がり風向きが変わるので、そこまでは我慢我慢!

風よけのために、前のランナーを追っかけたい気持ちもあったが、まだ無駄に脚を使う段階ではないと一定の出力で走ります。

ハーフ地点通過、タイムは「1時間32分35秒」。

ちなみに私のハーフマラソンベストタイムは「1時間38分台」です。

いい加減「フルマラソンのベストタイムが、ハーフを2倍にした数字よりも速い」という謎現象を解消したいのだが、ハーフのレースって最初っから最後まで全力で出し切らんきゃならんので、フルよりかえって心肺は苦しいんですよね。

もうハーフマラソンは5年以上走っていない私です。

まあ、このままフルマラソンサブスリー達成して、ハーフは1時間半切れないままってのもある意味かっこいいのかもしれん。

 

ハーフ地点から左に曲がり、向かい風地獄は解消。

短いながらもスライド区間に入ります。

ここでクラブの方とエール交換。

後半もこの調子で頑張っていこう!

 

22.5kmで右に曲がり、再び国道243号線に入ります。

こっからは40km手前まで、ひたすら市街地への一本道を進むのみです。

風は向かい風だが、19km過ぎの突風に近い風に比べるとゆるく、さほど気にならず。

んで、こっからは往路と違い下り基調になってきて、気持ちスピードが乗ってきます。

 

 

《25km〜30km》(2:11:54 ラップ22:06)

 

基本、フルマラソンではイーブンペースを刻んでいけば、後半で落ちてくるランナーが多いので、どんどん抜かして行く一方の展開になるのだが、ここで私の後ろからバヒュンとスピードを上げてくるランナーがいて、一気に私を抜かして行った。

「うわ〜、ここに来て速ぇ〜」と思いましたが、別海は見通しのいい直線コースですので、背中は小さくなれど、100mぐらいの差なら視界に残ります。

ここで私の直感がささやきました。

 

「このランナーの背中を見失わなければ間違いない」

 

と。

 

相変わらず単独走の苦しい展開が続くが、遠く米粒のように見える青いランシャツを着た方を「仮想ライバル」として、目標を見失わないようにします。

遠く離れていても、指標とするものがあるとないとでは、全然足取りが違うものです。

 

28km地点で再び中西別の集落に走り、往路同様「けっぱれーおばちゃん」を始めとする熱い応援を受けます。

でもって、ここで左足裏に違和感。

普段履かない「アーチサポート機能つきのソックス」が合わないのだろうか。

違和感が痛みに変わると嫌なので、お守り代わりに持参した「痛み止め」を投入します。

賛否両論あると思いますが、私は本気出してフルマラソンを走るのは年に1〜2回ですので、このくらいの頻度なら別にいいかと、躊躇なく痛み止めは服用することにしています。

(ただ、ウルトラマラソンだと痛み止めは「胃腸障害」につながるので、ウルトラでは私は痛み止めは使わない)

 

中西別の集落を過ぎたら、再び「無人地帯」。

 

 

牧草ロールの応援を受けながら、30km地点の計測マットを踏みます。

30kmまでは単なる移動、ここからが真のフルマラソンだ!

 

 

《30km〜35km》(2:33:46 ラップ21:52)

 

私はフルマラソンを走るとき、25km過ぎから前腿がじんじん痛んでくるのですが、今回は前腿のダメージは全くありません。

だいたい30kmを過ぎてから、痛みや疲労でスピードダウンして、それまでに作ってきた「貯金」を使い果たす傾向にあるのですが、今回はここまで作ってきた「3分の貯金」を切り崩すイメージはありませんでした。

「むしろ下りを利用して、スピードアップしてやろう!」というぐらいに気力は充実していました。

25km過ぎで抜かされた青いシャツのランナーは、まだ視界に入っています。

このときはタイム云々よりも、「あの青シャツランナーから離れていけない!」ってことがモチベーションになりましたね。

 

30kmで「Mag-on」を補給。

「Mag-on」に入っているカフェインで興奮を高めて、マグネシウムで足攣りを予防しましょう。

以前は30km過ぎでのふくらはぎの足攣りに悩まされていましたが、今回は足攣りの兆候は全くありません。

30kmを過ぎても脚に異変を感じることはなく、つくづく「ヴェイパー様」はすげえドーピングシューズだと思い知らされました。

そういや、痛み止めが効いたのかどうか知らんが、足裏の違和感は30km過ぎからは一切気にならなくなりました。

 

「ヴェイパー様」はすごいシューズであることは事実なのですが、接地位置がずれると前に進まずに「上に跳ね」かつ、着地音が「パスッ」と鈍い音になってしまいます。

私は疲れてくると接地が前にずれる悪い癖があるので、とにかく重心真下に接地し、着地音が「ポッ、ポッ」とキレのいい音になることを確認しながら、一歩一歩丁寧に走ることを心がけました。

 

このとき私はものすごく集中していたのでしょう。

視界は100mぐらい前に見える「青いシャツのランナー」しか目に入らなかったですし、聴覚はシューズの着地音以外は何も聞こえなかったという状態でした。

 

 

《35km〜40km》(2:55:32 ラップ21:46)

 

3年前の「作.AC真駒内ラソン」では、今回と同じく「3時間10分切り」を狙っていましたが、35kmから一気に失速してしまいました。

 

しかし、今回はまるで失速するイメージが沸きません。

本能が「行ける!」としか感じていませんでした。

35km以前は、基本、給水は全て取っていたのですが、キロ4分半を切るスピードになると、給水の微妙なペースの上げ下げがストレスになります。

もう「絶対大丈夫」と思った本能が、「これ以上の補給は必要ない。ひたすら走れ!」と命令してきたので、それに従います。

エイドは全て通過して、走ることだけに神経を集中していきます。

 

はるか昔、私をフルマラソンの世界にいざなってくれた当時の職場のボスが

「ごっしーくん、フルマラソンは35kmを過ぎてからが面白いんだぞ」

と、力説していましたが、その言葉をいただいてから20年ぐらい経って、ようやくその意味がわかりました。

35kmを過ぎて、これだけ「無」になって、「全集中」できたのは初めてです。

2003年に初めてフルマラソンを走ったときは、35km過ぎは地獄でしかなく、「もうこんな苦しいことはやめだ!」と、その後8年間走らない生活を送ったぐらいのトラウマものでしたが、地道に続けていけば「悟り」に近いものが生まれてくるんだなあと。

 

「フルマラソンは30kmまでは理性で走り、そっから先は本能で走る競技」

 

そんなことが、ふっと頭に思い浮かびました。

理性がなくなってきたときに頼れるのは、その人の持つ「本能」しかありません。

 

この区間になってくると、明らかに失速したランナーをパスする機会が増えてきます。

恐らくサブスリーを目指されていたランナーなのでしょう。

サブスリーを目指すということは、間違いなく、私よりも走力があって、私よりも辛い練習をされていたに違いありません。

サブスリーにチャレンジして、スタートからキロ4分15秒ペースで走る」ということだけでも、今の私にはまだ想像できません。

その想像できない「挑戦」をされてきたランナーの方をリスペクトしながら、パスさせていただきます。

フルマラソンは運にも左右されるスポーツ。

たまたま、私は今回運に恵まれましたが、失速されたランナーの方々は、実力はあれど、どっかで微妙な歯車がずれたのだと思います。

フルマラソンは「楽しさ」と「恐さ」が紙一重の競技であるということを痛感させられました。

 

さて、残り5kmを切って、別海の市街地に入ります。

再び、沿道に応援の姿が戻ってきます。

目標としていた「青いシャツのランナー」の背中が、徐々にではありますが大きくなってきました。

このときは「3時間10分切りは確実だ」とは思っていましたが、具体的なゴールタイムはまだイメージできていませんでした。

とにかくタイムは関係なく、42.195km、一定のペースで全力で走り切る!

それだけを思って歩を進めていました。

 

 

《40km〜ゴール》(3:04:54 ラップ9:22)

 

40km手前までは、ずっとゆるやかな向かい風でしたが、右折して追い風区間に入ります。

試走のとき同様に、こっからガッと加速していきましょう!

 

40km地点の大時計を見ると、通過タイムは「2時間55分台」。

 

ここで初めて「3時間5分切りは行ける!」と思いました。

「行きたい」じゃなくて「行ける」です。

目標を達成するときの頭の中は「want to」ではなく「can」にしかならないのでしょう。

ちなみに私は今回まで、フルマラソンのラスト2.195kmで10分を切ったことはありません。

普通に理性で考えれば「できない」になるのでしょうが、本能が「できる!」と言っているんですから、それに従うしかありません。

心肺は苦しいですが、脚はまだまだ元気です。

ここでスピードを緩める言い訳は一切ありません。

出し切ろう!

 

残り1km。

ついに「青いシャツのランナー」をとらえました。

そして前に出ました。

お礼を言いたい気持ちもやまやまでしたが、そんな余裕はありません。

とにかく「5分切り」を目指して一歩でも前に進むのみです。

間違いなく、あなたがいなければ3時間8分ぐらいのタイムで終わっていたと思います。

本当にありがとうございました。

ゴール後にお礼が言えればと思っていたのですが、発見することができなかったことが心残りです。

 

残り500mぐらいのところで、サブスリーランナーであるラン仲間をパスします。

ずっと雲の上の存在だと思っていた方の前に出るなんて、なんだか不思議な気分でした。

しかし、彼は強い人です。

きっと来年はもっとパワーアップして別海に戻ってくることでしょう。

来年は、別海で一緒に「サブスリー」を達成し、お互いの健闘を称え合いたいものです。

 

競技場に入ります。

大時計は「3時間2分台」を示しています。

「よし、これで5分切りは確実だ!」と思いましたが、トラックに入ってからの400mが長いことよ。

土のトラックではイマイチ「ヴェイパー様」の反発力が活きないようです。

 

しかし、そんなことは言ってられません。

もう最後は必死になって、今まで使ってこなかったふくらはぎの筋肉を使って蹴り上げ、一所懸命に腕を振ります。

もうフォームなど、どうでもいい。

とにかく力の限りを尽くすのだ。

 

残り100mになって、ゴールの大時計が見えてきました。

すでに「3時間4分台」になっています。

間に合うのか?間に合わないのか?

HBCラジオ(北海道ローカル局)パーソナリティーである会場MCの田村美香さんが、私のゼッケン番号と名前を読み上げます。

普段ラジオで聴いている声に、ゴールを迎えられることが贅沢のように感じました。

スタート前は、ゴールではサングラスを外して、しっかりポーズを取って写真に撮ってもらおうなどと考えていましたが、もうそんな余裕はありません。

最後までサングラスを外さず、息も絶え絶えで、倒れるようにゴールマットを踏みました。

 

時計は「3時間4分54秒」を示していました。

 

 

(反省会につづく)