んなわけで6月13日(土)、この時期の根室にしては珍しく、25度以上の夏日の陽気の中、「根室半島一周ラン」に挑戦していたワタクシなのでありました。
前半の太平洋側は数キロごとに集落があって、最果て感の中にも人の営みを感じましたが、後半のオホーツク海側は「ほぼ無人地帯」と、北海道の広大さをまざまざと感じさせる道です。
コンビニはおろか、自販機すらない道が延々と続くんだわ。
もうやってられんわ!
車やバイクだったら「おおー、これが北海道か!感動的じゃ!」となるのだろうが、ひとりで走っている身分からすると、2時間ぐらいほぼ景色がずーっと変わらない道を走っていると発狂しそうになります。
と言うか発狂してました。
あと、前半やけに快調だと思っていたのは追い風の影響もあったんですね。
納沙布岬を折り返してから、風向きがアゲンストに変わり、足取りが重くなってきました。
風も8時ごろの爽やかな涼風から、モワッとした重い空気に変わってきたような気がします。
さて、こういう気象条件の厳しい中、単調な道を走っているとき、私は何を考えているのか?
はっきり言って、何も考えてません!
と言うか何も考えられません!
考えごとをしながら走っていると、脳が疲れてくるんで、私はロングを走るときは「動く瞑想」のごとく何も考えないで、ボーッと5mぐらい先を見つめながら機械的に手足を動かすようにしています。
ガーミンは見ないし、残り距離がどーかとかそういうことは一切考えません。
以下、OSHO「死について41の答え」より引用。
仏陀は弟子たちに、歩くときは1.2m以上先を見ないように、と言っていたものだ。「歩くのには、それで十分だ」と彼は言っていた。周りを見回して、あらゆる方向を確認し続ける必要はない。最初の1.2mが完結すれば、次の1.2mが目の前に見えてくるからだ。それで十分だ。このようにして、何千キロも旅をすることもできる。
余り先のことは考えず、「今この一歩を前に進む」ことを繰り返すことが、長距離走、特にウルトラマラソンでは大事なのではないかなあと思います。
イエス・キリストではありませんが、「10km先のことを思い煩うな。10km先のことは10km先になってから思い煩うであろう」の精神で、暑かろうが坂があろうがなんだろうが、今この一歩を進まない限りは、10km20km先など存在しないわけです。
だからといって、「よーし、目の前の一歩一歩が大事なわけだから、ひたすら全力疾走すればいいんだ!」って意味ではないことは、このブログを読むぐらい頭のいい皆様なら十分ご理解いただけると思います。
海の向こうにはうっすらと北方領土の島が見えます。
こういうの見ると「国境の街」に来たなあって感じがするね。
いや、あの島は日本の領土ではあるのだが。
近くて遠い北方四島の存在なのであった。
「あの風車にたどり着いたら休憩しよう!」と思って、延々と5kmぐらい風車にたどり着かなかったときは、さすがの私も心が折れそうになりました。
田舎の巨大建造物は距離感覚を狂わせます。
にしても、クソ真面目に風車にたどり着くまで、5kmぐらい無補給休憩なしで突き進んだ私もどっかおかしい。
納沙布岬から約20km、家一軒見えやしねえ。
恐るべし、根室半島オホーツクルート。
市街地まで3kmぐらいのところになって、ようやく民家が見えて、自販機を発見しました。
一応、水分は持って走っていたのだが、ガツンと糖分とカフェインを浴びるほど補給したい発作にかられ、赤コーラ350ml一気飲み。
くーっ、疲労困憊時の赤コーラはなんでこんなにうまいんじゃ!
市街地に入ってから、すっかりポンコツとなった私でありますが、ようやくゴールが見えてきたということで、ちょっとは頑張れる気になりました。
いくら人のいないところやすいているところの好きな私でも、約20kmの無人地帯を走るのは拷問でありました。
やはりある程度の人の営みは大事です。
ロシア語表記のある信号機を見ると「根室に来たなあ」と感じます。
異国情緒あふれる根室の町並みなのであった。
写真ではわかりにくいが、このときの気温は28.4度と、真夏でもこんなに暑くなるのは珍しいってぐらいの道東太平洋沿岸にあるまじき気温なのであった。
まあ、でも、このタフな条件で根室半島一周を休憩込みで5時間ぐらいで走れたんだからよしとしましょう。
これだったら、今年もサロマがあったら、きっちり完走できたんだろうなあと思うことにしておきます。
(雑記へとつづく)