「のど元過ぎればなんとやら」とは、よく言われますが、割合頭がクリアになった今から考えると、2ヶ月間の休職期間は「ずる休みだったんじゃないか」とすら思ってしまいますね。
しかし、当時の日記を読み直すと、「眠れん」「鬱の波が来た」「動けん」などのネガティブワードがてんこ盛りで、仕事どころか一人暮らしも無理って状態だったわ。
うちの母親はもう80を過ぎているんだが、母親に飯や洗濯などの世話をしてもらい、「もう50も過ぎたおっさんが、何で実家で引きこもり生活してるんだ?」と、俗にいう「8050問題」に思いを馳せ、憂鬱感と罪悪感がマシマシになりますね。
まあ、こうした「憂鬱感や罪悪感がマシマシ」になるというのは、「そういう病気なのだから仕方ない」と今になったら思えるんだが、当時は「このままの生活が何年も続いたら、どうしよう」という考えがグルグル頭をめぐっておりました。
ただ、精神科医の樺沢紫苑氏によると「3行ポジティブ日記」がいいとのことなので、日記の最後は「絶対大丈夫」とか「感謝」とか、ポジティブなワードを使うようには心がけました。
「抗うつ剤」を出されて、「実家引きこもり」という名前の「治療」が始まったのだが、この手の薬は風邪薬のように「すぐ効く」というものではなく、「2~4週間ぐらい時間がかかる」ものなのですよね。
特に脳は疲れているんだけど「眠れない」ってのが、一番の悩みでした。
身体はへとへとなのに、横になっても昼寝すらできない。
眠剤を飲めば、一応3~4時間は眠れるのだが、一度中途覚醒すると、朝までの「悶々タイム」が続き、「目は覚めているのだが、布団から出られない」という謎現象が起こってました。
実家暮らしで生活音が聞こえていたから、「えいやっ」て起きる気になっていたが、一人暮らしだったら、朝飯も食わずに昼まで布団にくるまってる生活送っていたな。
初診の段階で、「仕事どころか釧路に戻ってもダメ!」と診断書を出してくれた主治医には、本当に感謝しています。
当時は大げさだなあと思っていましたが。
不眠以外にも、体調不良のオンパレードだった当時。
思いつくものとしては
・主に夕方に起こる気分の落ち込み
・外で散歩と思っても、30分ぐらいでふらふらする
・寒さに極端に弱くなる
・便秘
・肩甲骨周りのカチコチ感
・視覚聴覚にやけに敏感になった
などでしょうか。
「自律神経がかなりやられてるなあ」とは思いましたが、これは整体やマッサージに行っても治るもんじゃないだろうなあ。
と言うか、整体やマッサージに行く気力もなかったというのが正直なところでしょうか。
今思えば、このとき「治そう、治そう」とジタバタせずに、「何もしない」という選択肢を取ったのは正解だと思います。
(いや、「何もできない」というのが正しい表現かもしれんが)
あと、実家での家族の「程よい距離感」が、かなり助かりました。
いや、ホント、鬱になると「暖かい無関心」が一番ありがたいのよ。
まあ、以前のブログにも書いたように、12年前にも私はやらかしてますので、家族は「また、この発作が来たか」ぐらいに認識していたのかもしれませんが。

「視覚に敏感になった」と上に書きましたが、散歩しているとき、以前までだったら何も思わない葉の色づきに、「うぉー、めっちゃキレイ!!」とイチイチ感動していましたね。
ひょっとしたら、岡本太郎氏の頭の中は、こんな感じになっていたのかしらとか想像する私でした。
今まで全く興味のなかった「芸術」の分野に、突如目覚めたんじゃないかと。
(ちなみに今写真見ても、「何でこんな写真撮ったんだ」ぐらいにしか思えん)
クリニック通いの方は、「眠れん」をひたすら訴えて、毎週、眠剤を増やしたり変えたりなどの試行錯誤が続いていましたね。
11月に入って、ある眠剤でアホみたいに眠れるようになり、「昼寝ができる!」と1日に15時間ぐらい寝るような生活になってから、「治るかも?」と、ちょっとポジティブになってきました。
あとは、考え方の変化ですね。
以前のブログに、病気が治る人の特徴として
・病気をあきらめた人
・病気を忘れた人
・人のために尽くした人
の3つを挙げましたが、ここで私は「あきらめる」という選択肢を取りました。
今年に入ってから、顔の骨は折って入院手術になったし、退院して3日後にクルマにはねられて再入院するし。よくなったと思ったら、鬱になってしまうし、どうなってんだ?
もー知らん!あきらめて全部神様に任せよう!
と決めて、今までにない思い切った行動を取った私なのであった。
(多分、来年に続く)