ゴシラン

走ることについて語ります

オホーツク海へ100マイルライド(後半)

ロードバイクで釧路から川湯温泉を経由して、標高725mの道の駅「ハイランド小清水」までヒルクライムをしたお話を、前回ではしました。

 

gossy54200.net

 

さあ、てっぺんまで上ったし、あとは「ご褒美の下りだ!」と思うかもしれませんが、この下りが曲者。

道東独特の荒れた路面で、路肩付近は穴が開いているところもあり、常にブレーキ握りながら、恐る恐る降りていきましたよ。

全速力で穴に突っ込んだら、間違いなく自転車ごと私が吹っ飛ぶような、デンジャラスな道でした。

まあそれでも40㎞/hぐらいと、上りの4倍ぐらいのスピードはペダルを回さなくても出るのだがな。

ランと自転車の最大の違いは、「下り道を惰性で進めるかどうか」ってとこにあると思う。

ランだと下りでも脚に着地衝撃かかってキツいからな。

 

上半身ガチガチにして、緊張しながらのダウンヒルだったので、すっかり背中周りが凝ってしまったよ。

道の駅から15㎞ぐらい惰性で進んだところに、ごちゃっと車が停まっているところがあり、「こんな田舎道に場違いな」と思ったものだが、この時期の東藻琴は「芝桜まつり」で賑わっておるのよな。

 

 

せっかくここまで来たんだから、中を見てみましょう。

入場料600円。

 

 

入って1分で、「やっぱここは素通りすべきだった」と後悔しましたね。

周りにいるのは、家族連れかカップルだらけで、50過ぎの自転車ウェア来たおっさんひとりが来るような場所ではなかった。

ただ、「芝桜の中を走るゴーカートはちょっと乗りてえ」と思いましたね。

ゴーカートに乗れる子供が、心底うらやましかった。

 

 

結構な段数の階段を上るのね。うげぇ。

ここまで120㎞ロードバイクに乗ってきた私には厳しいものがあったが、600円の元は取らなければならない。

 

 

まあ、上に登ったからと言って、何か変わったものがあるってわけでもないんだけどね。

無駄に体力を消耗してしまったぜ。

芝桜公園はこんなもんでいいだろう。

滞在時間15分。

金払った分の元は取れてないが、もういいか。

 

尚、入り口付近には「芝桜ソフト」なる店があり、そこそこ行列ができていたのだが、「どうせ普通のソフトクリームに色付けただけだろ」とスルーした。

私はソロ活動では、行列のできる店には並ばない主義である。

 

さようなら、芝桜公園。

こっからオホーツク海目指して、更に北に進みましょう。

 

ずっと追い風で絶好調だったのに、130㎞過ぎた辺りから風向きが変わってきましたね。

うーん、ちょっとしんど。

エネルギー切れ起こしかけていたので、自販機で赤コーラゲットし、一気飲みしました。

北海道の自転車ツーリングでは、コンビニはおろか、自販機すら数十キロないところもあるので、補給できるうちにしておくことが大事。

 

赤コーラは、糖分とカフェインを一気にゲットでき、枯渇しかけていたエネルギーが復活してきましたな。

ロングライドやウルトラマラソンに、赤コーラは必需品である。

 

オホーツク海沿いを通る、国道238号線にぶつかり、斜里方面へと向かいます。

おお、この道を通ると、今は亡き「オホーツクサイクリング」のことを思い出すぜ。

あの頃の自転車仲間の皆様は元気にされているのだろうか。

もう、あれから12年も経つんだなあ。

干支が一回りしてるよ。

 

ちょっとノスタルジックな気分になりながら、北浜駅へ。

 

 

ここは「オホーツク海に一番近い駅」です。

流氷シーズンになると、ここも大賑わいなんだろう。

 

 

裏面。

ひっそりとある「オホーツクに消ゆ」のパッケージが懐かしい。

はるか昔、PC6001版で遊んだものよ。

よっぽど昔のパソコンマニア以外は、PC6001と言っても何のことかわからんだろうが。

犯人はヤス

それは違うゲームか。

 

 

オホーツク海も見たし、風は向かい風だし、もうこんなもんでいいだろう。

100マイル進んだら、テキトーなところで列車に乗って帰ろう。

 

 

ロードバイクばらして、北浜の隣の隣、浜小清水駅から帰ります。

事前に輪行袋に詰める練習しなかったし、JRの時間は近づいてくるしということで、かなり慌ててしまいテキトーな袋詰めになってしまった。

60点。

コンビニに寄る余裕もなかったので、腹ペコ状態で帰りましょう。

 

 

一両編成のディーゼルカーで帰りましょう。

釧網本線も新型車両「DECMO(デクモ)」が走るようになり、なんか通勤車両みたいで、旅情はちょっと薄れるなあ。

しかし、これも時代の流れだ。仕方がない。

 

 

ここまで来たら、何も考えず、列車に揺られるだけでおしまいの楽チンな旅です。

車窓から見える斜里岳がいいですね。

 

列車はガラガラで、途中「清里町ー標茶」までの約70㎞は、私専用列車だった。

わかりやすく言うと、客は私一人だということだ。

芝桜公園の雑踏があってこそ、この「ローカル線ただひとり」の空間が余計身に沁みるというものだ。

 

北海道、特に道東の公共交通機関については、色々思うこともあるが、私が語ったところで薄っぺらの内容にしかならないので、ここでは書かない。

ただこの路線も、あと数十年もすれば、「さようなら、ありがとう釧網本線」と、4両編成列車の乗客が満員になるぐらいの盛況を見せるのだろう。

その乗客の大半は、廃線になるまで、この路線に見向きもしなかったことと思うが。

 

芝桜もそうであるが、人間は「去り行くもの」に狂おしいほどの愛着を感じるのだろう。

期間限定で「今しか味わえない」というものに、人はひきつけられるのである。

そして、今のように「あるのが当たり前」という状況では、この路線はひっそりとしているのだろうなあ。

当たり前のものなど、この世の中には存在しないのに。

 

 

ガラガラのローカル線の中で読書。

普段、ネットに繋がれた生活を送っていると、なかなかじっくり本を読む機会がない。

たまには「オフライン」にして、じっくりと読書の時間を作ることも重要だなあ。

ちなみに、この「アルケミスト」という本、どことなく「かもめのジョナサン」っぽい内容で、平易な内容ではあるが心に突き刺さる。

そのうち気が向いたら、レビュー記事を書きます。

 

 

20時過ぎ、釧路駅到着。

こうして100マイル自転車を漕いで、ただ列車に乗るという無意味な旅が終わった。

 

自転車に乗り始めた30代、40代のころは「現実からの逃避」という意味合いが濃かった自転車旅行であるが、行きたいところは行きつくしたし、何より「逃避した先には何もない」ということがわかり、自転車旅行自体がつまらないと思った時期もあった。

 

しかし、50も過ぎると「逃避」というよりは「現実の観察」というか「現実を見出す」というか、うまくは言えないが「今まで見えていなかったものを発見する」ような、また違った視点で楽しめるようになってきたと思う。

自転車と共に、自家用車やランニングでは見えないようなものを見出し、「質のよい孤独」の時間を送っていこう。

 

さようなら。