ゴシラン

走ることについて語ります

脳MRI異常なし

今日の釧路の午前中は一気に気温が上がったな。

スネ夫くん風に言えば「釧路のくせに生意気だ」ってぐらいに上がっていった。

午前10時半で28.5度って、20度がデフォの6月の釧路ではありえない気温である。

まあ、南風がそこそこ強かったので、外にいるとそんなに暑さは感じなかったが。

 

 

せっかく晴れたので、海が見たいなあと「弁天ケ浜」へ、無駄に8㎞散歩。

やることないんで、意味もなくずんずん歩いている私です。

 

かつてはここに石炭を運ぶ列車が走っていたのだが、今はもうありません。

踏切だけは、かつての名残で残っているというか、廃線時に一回撤去されたが、知らんうちに復活していました。

 

 

午後は脳神経外科受診ということで、またもや意味もなくずんずん3㎞ほど歩きます。

まだ鎖骨の状態がイマイチで、右手で自動車や自転車のハンドル握ったりできる状態じゃないんでな。

タクシー使っても、保険で運賃は出るんだから、素直にタクシーに乗ればいいんだが、まあ歩くのもリハビリの一環だと考えよう。

あと、ワイは極度の電話嫌いで、「タクシー呼ぶぐらいだったら、1時間近く歩いた方がめんどくさくない」と、一般人とはかなりズレた感性を持っている。

 

本日は事故1ヶ月後の脳MRI検査。

事故時に発生した血腫は引いていて、主治医曰く「もう大丈夫でしょう」と。

ふー、頭に後遺症が残るようなことにならなくて、本当によかったわ。

 

となると、問題になるのは折れている右鎖骨、チャーリーさん風に言えば「サコちゃん」。

今月始めのような「肘から上の右腕が全く動かない」という状態は脱したが、上にも書いたように、まだ車の運転はできないレベル。

無理すりゃ、左腕だけでハンドルを回せなくもないが、右手でウインカーも挙げられないようじゃ、運転なんかしちゃアカンよな。

時間が解決すると思うが、今は車に対する恐怖心が5割増しで、「自分で運転して人様をはねたらどうしよう」と、気持ちの面からも運転から遠ざかりたい心境です。

 

明日も病院に行って、今度は整形外科で「サコちゃん」の診察です。

いきなり手術という展開にならないことを祈りつつ、もう少し自分の右腕とメンタルをいたわってあげましょう。

 

さようなら。

近視眼鏡人間よ、老眼が入ったら迷わず眼鏡2本持ちにするのだ

交通事故で入院中、痛みがキツかったのもあるが、地味に辛かったのが「目が見にくいこと」であった。

なんせ眼鏡が壊れたもんで、入院中ずっと「視力0.1以下」の世界であり、レントゲン写真も全然見えんわという状態であった。

 

つーことで、退院してから真っ先に行ったのが「眼鏡ショップ」であった。

他にもっと行くべきところがあったような気もしたが、まずは「視力1.0」の世界を取り戻さないとな。

 

若いころからずーっと視力0.1以下の「ど近眼」の私であったが、45ぐらいから老眼が始まり、事故前は「遠近両用眼鏡」を着用していた。

これはこれで便利だったのだが、読書とかで「近くのものが見ずらい」ということと、「遠近両用だと、出来上がるまで数日時間がかかるのは嫌だ。遠くのものだけでもいいから、今すぐ見えるようになりたい」ということから、遠くを見る「近視用の眼鏡」と、室内用の「中近両用眼鏡」の2本を注文することにした。

近視用の眼鏡だけだったら、即日でゲットできるということだし。

 

で、近視用の眼鏡をゲットして、2週間ぶりによく見える喜びを味わえたのであるが、これだとやはり室内では支障があり、読書やスマホやPCの画面を見るのに不便であった。

まあ、入院生活時の「どこを見てもぼやける」という状態に比べたら、100000倍はマシだ。

 

眼鏡を注文してから一週間後、念願の「中近両用眼鏡」が完成しました。

 

 

下が近視用の眼鏡で、上が新しい「中近両用眼鏡」です。

眼鏡をゲットして、帰宅して、部屋でかけ直しました。

 

「めっちゃ快適やん!これ!」

 

感動的なレベルでしたね。

遠近両用1本だったころは、近くのものを見るために、レンズを微妙にズラすとかの作業が必要だったのだが、中近両用だと、そういう作業は一切必要ない。

「部屋の中では、中近両用最強すぎるだろ!」と、涙がちょちょ切れた。

 

というわけで、結論。

 

老眼が始まったころは、「えー、眼鏡2本も作るのめんどくさい。遠近両用1本でええわ」と思っていたが、私が間違っていた。

タイトル通り、老眼始まったら、最初から「眼鏡は2本持ち」にして、「外出用」と「部屋用」で使い分けろと、声を大にして言いたいのであった。

 

さようなら。

中性脂肪と低血糖

gossy54200.net

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以前、食後に猛烈な眠気が襲ってきたり、早朝覚醒が酷かったりで、諸悪の根源は「低血糖なのでは?」と仮説を立てていた私です。

 

幸か不幸か、今は交通事故後の療養中で仕事を休んでいることもあり、睡眠に関する悩みは、ほぼなくなりました。

こういう自由に時間を使える状態なのだが、若いころとは違って、22時ぐらいには眠くなるし、もっと寝たいと思っても6時半ぐらいには勝手に起きてしまうし、無駄に規則正しい生活をしてしまうのう。

まあ、職場復帰のことを考えれば、このことは望ましいことなのだが。

 

で、昨日、久々に職場に行ったとき、3月に受けた健康診断の血液データが配布されていました。

 

 

HDLコレステロールが基準値より高いのは「ランナーあるある」なので無視。

 

空腹時血糖値と、過去1~2ヶ月の血糖値の反映の指標となるHbA1cは、それぞれ「84」「5.0」と、基準値内にあり、特別に低いということはないですね。

 

ただ、血糖値が下がったとき、これを上げるために「アドレナリン」が分泌され、アドレナリンが分泌されることで、体内の「中性脂肪」が分解されるということから、「中性脂肪の値も低血糖の指標となる」と主張する方もいらっしゃいます。

 


www.youtube.com

 

んで、YouTube界隈によると、「中性脂肪が70以下の場合は低血糖症をおこしている可能性がある」って動画がちらほら見られますな。

私の3ヶ月前の中性脂肪は「57」ということで、アドレナリンが出すぎて、中性脂肪が少なくなりすぎているのかもしれない。

まあ、所詮3ヶ月前のデータなのだから、必要以上に気にすることはないと思うが。

退院してからは、眠剤やサプリなしでも、余裕で眠れるようになったことだし。

 

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先月、漢方医のところに行ったとき、低血糖症状解消のためには、米を粘り気の少ない「あきたこまち」に変えた方がいいと言われ、道民の私であるが、秋田米をゲットしました。

 

 

まだ、右腕が思うように動かず、車運転できないし、重い荷物持てないしということで、ちょっと不経済ではあるが1㎏の米をゲット。

今まで食っていた「ななつぼし」のような道産米と比べると、ちょっとあっさりしてるかなって気もするが、「もちもちしていない」という情報が事前にあっただけに、そう感じただけで、あまり違いは感じない。

まあ、気分的に「今までよりちょっと高い、いいものを食っている」というプラシーボ効果も含めて、体質改善を図っていこう。

 

中性脂肪は多すぎるのもよろしくないが、少なすぎるのもよろしくないというお話でした。

 

さようなら。

病院食最強伝説

交通事故による怪我で、自宅療養中の私です。

今日も朝からやることがないですね。

家にいても、9時にタイマーをセットしているルンバがやかましいので、外に出かけることにしましょう。

ロボット掃除機は、二度寝防止には役立つ。

 

 

今日もルナサンダルを履いて、本屋で立ち読みして、6㎞ぐらい散歩。

気温17度で南風が涼しく、絶好の散歩日和です。

灼熱地獄とは無縁の地の釧路でございますが、それでも釧路人にとっては暑く感じます。

まあ、釧路人の基準では「20度が真夏日」なので、しゃーないね。

 

ここ約1ヶ月、2度の入院生活をしていた私。

骨折にばっかり気を取られていたってのもあるかもしれんが、今年1月に感じた「謎の体調不良」は、かなり改善されているような気がする。

 

で、体調改善の理由を考えると、「病院食」に秘密があるんじゃないだろうか?

世間一般では「マズい」と評される病院食だが、やはり、栄養士さんが「PFCバランス」を考えて作られたメニューは最強なのである。

2年前に入院したときは、「ハッ、これしかないのか?」という感想しか持たなかったが、人間「腹八分」がちょうどいいのである。

 

 

で、今日本屋で立ち読みした本がこれ。

「四毒」とは、一部健康オタクの間でも話題になっているが、「小麦」「植物油」「乳製品」「甘いもの」の4つを指しています。

YouTubeとかで、「四毒抜き」を絶賛している声を聞くと、「ちょっと宗教チックでヤバいんじゃないか」とも思うが、3食病院食だけで、間食を摂らない生活は、「実は四毒抜きに近いものがあるんじゃね?」と思ったりする。

 

ということで、去年までは「糖質制限」に近い感じで、「米を少なく、おかずたっぷり」という食生活をしていたのだが、退院後も、病院食のメニューを思い出し、「米たっぷり、おかず少々」を心がけている私です。

入院前は、プロテインとかサプリとか摂りまくっていた私だが、「実はプロテインとかサプリなどはどうでもよく、食事が全ての基本じゃない?」と、心を入れ替えています。

まだ「北海道マラソン」は諦めていないので、食生活と散歩で、夏の42.195㎞を乗り切れる身体作りをしていこう。

 

午後は、2回目の散歩。

久々に職場に顔を出しました。

ずっと休んでいて、「もう新しい人募集するから、お前なんかいらねーよ」と言われたらどうしようかしらと思いましたが、皆様、優しく接していただき、ワイ、むせび泣く。

引きこもり生活を送っていると、社会復帰意欲が失われていくが、ちょくちょく顔を出して、仕事に対するモチベーションを上げることは大事だな。

また来週、外来受診が終わったら、全治の見込みなどについて近況報告いたします。

 

さようなら。

散歩と図書館と現場検証とルナサンダル

右鎖骨骨折療養という名の「無職引きこもり生活」を満喫している私です。

今日は警察の「交通事故現場検証」というイベントがあるので、まあ退屈しなくていいかなと。

 

 

とりあえず、現場検証の時間までは、ルンバに部屋を掃除させて、散歩したり、図書館で借りた本を読んだりしてダラダラ。

全く信心深い私でないのだが、「九死に一生を得る」ような経験をすると、神とか仏とか、そういうものに思考が行くようになるな。

今んとこ教会の礼拝に行く気はないが、こういう世界をのぞいてみるのもいいだろう。

あくまで私の勝手な考えだが、旧約聖書の創世記が正しいとなると、「この世など神様がたったの一週間でテキトーに作ったもの」なので、こっちもある程度はテキトーに生きていけばいいんじゃないかって気もします。

「五か年計画」を立てても崩壊した国もあるんだし、たったの一週間で完璧なものができるわけないだろと。

 

さて、現場検証。

ドラレコに映った、自分のはねられるシーンを見るのは精神的に苦痛だのう。

つーか、あれでよく生きてたな俺。

 

にしても、警察とか検察とかって、性悪説に立って、人の言うことを疑って、言いにくいことを言わなきゃならない仕事だから、ホント大変だなあって思う。

他人に嫌われることを気にしない性格じゃないと、絶対できない仕事だよな。

小心な私には110回生まれ変わっても、できない仕事だと思う。

当時の記憶があいまいなもので、首尾一貫しない証言となってしまい、失礼いたしました。

 

 

気温の上がった午後は、久々にルナサンダルを履いて散歩。

最近、無駄に1日7~8㎞歩いている私です。

うまく言語化できないが、NIKEのフリーやMERRELLのベアフットシューズに比べると、爽快感が段違いだな。

散歩という行為が「娯楽」に変わるぐらいの爽快感である。

 

腰から下は元気なので、脚は走りたくてうずうずしているんだが、時々患部にビキッとする感じがあると、まだまだ走るのは無理だな。

つーか、まずは職場復帰できるレベルに戻すことからだよな。

 

 

メンタルが病んでいたとき、吾妻ひでおの漫画を読んで、「こういった散歩や図書館中心の『事件なし、波乱なし』の生活もいいよな」と思っていたが、いざ、自分がこういう生活を送ってみると、飽きるというか、世間様に申し訳ないって気持ちになってくるな。

まあ、ただ法的にも倫理的にも、自分が特別に悪いことをしてるってわけでもないので、若干不自由であるが「足るを知る」生活を、堂々と過ごしていきたいと思います。

 

さようなら。

退院後初受診

交通事故による「急性硬膜下血腫」と「右鎖骨骨折」で、先週の木曜まで入院していました。

あと頭の傷で、バックリ皮膚が切れていたのだが、今は「〇針縫う」なんてことしないで、医療用のホッチキスでバチンと留めるんだな。

昔風に言えば「6針縫う」怪我をした私です。

 

で、今日は脳神経外科で、ホッチキスの針を外す「抜鉤(ばっこう)作業」です。

特に痛みもなく、3分ぐらいで作業は終了。

治療のために、傷の部分だけ不自然に髪を刈られていたので、外出するときは帽子をかぶっていた私だが、これで安心して床屋に行くことができるかな。

 

頭の方は、あと来週MRIを撮って、問題なければ終了という流れになります。

 

問題は、右鎖骨の骨折の方。

「恥骨」のことを「チコちゃん」と名付けたチャーリーさん風に言えば、「サコちゃん」。

 

手術せずに保存療法という形なので、時間の経過を待つしかないのだが、こっちの方は「いつになったら、まともに日常生活できるやら」って感じですね。

退院初期のころのように「右腕をちょっとでも動かしたら痛い」って感じはなくなり、少しずつ可動範囲は増え、どのように動かすと痛くなるかってのはわかってきたんだが、まだ通常時の20%ぐらいしか右腕は使えません。

車の運転や、自転車に乗ることができず、行動範囲が狭くなるのが不自由ですね。

保険会社からは、「買い物でタクシーを使った分は支払う」と言われているのですが、「タクシー=贅沢」と思っている貧乏性の私は、なかなかタクシーを使う気にならないのですよ。

最近の買い物は、徒歩5分のコンビニ一択の私です。

 

 

とりあえず暇なので、無駄にくたくたになるまで散歩している私です。

じーっとしているよりも、痛みが生じない程度に右腕振りながら歩いた方が、リハビリにもよさそうですし。

 

今回、治療費や休業補償は、全額保険から出るということで、イマイチ「早く社会復帰する!」というモチベーションが低いのが困りものですね。

保険は人間をダメにするのかもしれません。

つかの間の「無職ニート生活」を満喫している私です。

 

ただ、20年ぐらい後も、今と同じように「身体的不自由」を抱えながら、「あまり楽しくない暇な生活」を過ごすことになるのだろうなあ。

そういう意味では、老後のよいシミュレーションの機会なのかもしれない。

あんまり身体が動かなくても楽しめるような、文化的な趣味を持つには、いいタイミングなのかもしれないな。

 

まあ、せっかくの機会なので、世の中の価値観を半分下りた「自己探求」の旅を、もう少し楽しみたいとおもいます。

私も「マラソン中毒者」だった小野裕史さんのように、全てを捨てて仏門の世界に入っていくかもしれません。

 

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さようなら。

全ては「無」なのだろうか

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2年前にロードバイク事故で、一歩間違えていたら命が失われていたかもしれなかった私。

 

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まさか、また交通事故という形で、同じような経験をするとは思ってもいませんでした。

人生の危機を経験して、「この2つの事故には、何か意味があるのか?」とも思ったりするが、きっと意味などは何もないのだろう。

神様の考えていることなど、私のような凡人にはわからず、テキトーにしか思えないこともあるのだ。

あんまり深刻に考えず、生かされている今を、それなりに生きていくしかないわけで。

 

ただ、2回倒れて、私の中で確信したことはありますね。

それは

 

「〇ぬのは怖くない」

「〇んだら、ただ『無』である」

 

と言うことだ。

 

2回とも肝心なときの記憶は全くなかったのよ。

今回は車が突っ込んできたときに「ヤバい!」とは感じたが、恐怖を感じるまでもなく、意識が戻ったときは「あ、助かった」という安堵感だけで、それ以外の感情は一切なし。

きっと〇ぬ直前も、「恐怖」という感覚はなく、先月、全身麻酔で眠らされたときのように、「無」の世界へと旅立つのだろう。

「〇ぬこと自体が怖い」のではなく、「そこに至るまでの苦痛」が怖いのではないだろうか。

 

 

入院中に読んでいた電子書籍

「自分とか、ないから」っていう仏教や老荘思想が身に沁みましたね。

特に「他力」の親鸞の思想には共感した。

今回の事故は、相手が悪いとか、自分が悪いとかそういうことはなく、たまたまそうなってしまっただけ

歎異抄第13章に書かれているように、そういう「縁」だから、そうなってしまったのでしょう。

 

さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし

「そうなるべき縁があれば、どのような振る舞いでもしてしまうのが私です」

 

臨死体験をした人は、「もう〇ぬのは怖くない」という感想を持たれることが多いようですが、総理大臣も大金持ちもコジキも、「〇んだら全ては無になる」と思えば、「この世はテレビゲームのようなもので、〇ぬことはゲームオーバーになるが、リセットボタンを押せばまた生き返る」ぐらいに感じられるのではないでしょうか。

 

まだ、右腕はあまり動かず、左手だけでこの文章を打っている私ですが、せっかく与えられた機会ですので、もう少し人生という名のゲームを楽しみたいと思います。

 

南無阿弥陀仏